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猫だましい

朝はなるべく朝日と共に起きられるよう、寝室のカーテンは開けたままで寝る。
寝つきが良く、そう簡単に目が覚めないのだが、日の出が早くなってきたらちゃんと6時ごろには目がさめるようになった。
一度夜中に眩しくて目が覚めたら、その日は満月で、窓からの月明りが部屋を煌々と照らしていた。それはそれは素敵な眺めで、ちっともいやじゃなかったし、月が窓を通り過ぎて部屋に明りが入らなくなったら、あっさりと眠りに落ちた。
今朝は気がついたら7時半を過ぎていて、天気は曇り、久々に寒い朝だった。
そのつもりになれば、人の体はちゃと自然に向き合って、その都度自然に反応してるんだと思わされる。

一応、闘病記ということになるのだろうが、そんな感じは全くない。
未来のために今を犠牲にする生き方をよしとしない。
自分の身体も自然の一部であることを認識している。
というより、認識さえしないでそのまま生きている。動物のように。

たくさんの死を体験して得たものなのか、もともと持って生まれた彼女の性質なのかはわからないけれど。
感情も身体も、自分のことぐらい自分で面倒みなくちゃいけない。
退院して、ファミレスで頼んだのは、ビールとオニオングラタンスープとコーヒーゼリー。
病み上がりの体に良さそうではないけれど、自分の身体にじっと耳をすませば、その時に欲していたものなのだろう。

病を抱えた自分をそっくりそのまま受け入れるのは大そう難しいことに思える。
もし病を得たことは素直に受け入れられたとしても、それに伴う症状、痛いとか痒いとかだるいとかは、けっこう複雑な感情を生みそうな気がするのに、それを感じさせない。
「○んこからうんこ」なんて、自分の身に起きたら、哲学者になれるぐらいいろいろ考えちゃいそうだ。
なのに、「ただびっくりして、受け入れて、対処する」だけにみえる。
そんなわけは無いけどね、ほんとはいろいろ感じて考えていると思うけどね。
それを見せないこの人のユニークさ、強さに圧倒されるばかりだ。
闘病記を読んで笑うとなれば、「笑った後に涙があふれる」のが定番だけど
笑っただけだった。
自分の悲劇同様、他人の悲劇だって笑い飛ばしていいと思った。
(もちろん、その人との関係性による)

いまさら、こんな風にはなれるはずもない。
それでも、睡眠を太陽に合わせることができるなら、もう少し自然に生きることができるかもしれない。
元気が出る闘病記だった。

この人と吉本ばななを育てた吉本隆明とその妻は
毎日彼女たちとどんな話をしていたんだろう。
近所に住んで、この家族の日常を垣間見たかったなぁ。




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