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Only The Piano Knows⑤

その後、シンクレア家からはピアノの音が再び聴こえるようになった。
毎週アイヴィーはジョンの家に通っては、レッスンをしていく。
そのレッスンに備えてジョンがピアノを弾くことが多くなっていた。
アイヴィーはもともと音楽のセンスがあったのか、鍵盤だろうがなかなかうまく弾いた。
ふたりはスタインウェイにともに向かい合う。
30年ほど昔にデボラと歩いた道を再び歩いているような気がしてジョンは時折胸が痛くなる。
そして不思議なことにアイヴィーが本当にデボラの血を引いた息子のように見えてくる。
「ジョンおじさん、あのね」
それはアイヴィーが15歳になったころのことだ。
「ん?」
12歳の頃に始めたレッスンは3年目を迎えていた。
アイヴィーはぐんと背丈が伸び、ジョンと並ぶくらいの大きさになった。
そして、声が一気に低くなった。本人は自覚はないのだろうが甘い深みのあるいい声だ。
10歳の時にすでに声がいいと言って、ヴォイスレッスンをも施していたノエルは先見の明があったのだろう。
「今度俺ノエルのライブにメンバーとして出るの。観に来てもらえたら嬉しいんだけど」
「おお?いよいよデビューか」
「ノエルが、いっしょにやるか?って。ノエルとツインギターなんだよ」
あどけない顔つきは大人びてきてはいたけれど、まだこんなときは幼さがのぞいて可愛らしい。
「そうか、いつだ?店閉めていくぞ」
ぱっとアイヴィーの顔が輝いた。そして彼は笑った。
「ありがとう」
全てではない。でもアイヴィーはジョンに心を開いている。
「2週間後の金曜日の夜。おじさん、俺、18歳だっていうことで出るから、15歳ってことは内緒だよ」
「ああ、そうか、そうだな。わかった。黙っとくよ」
ジョンは笑った。昔も今もそこは変わらない。ジョンもそうやって夜のショーに出てきたのだ。年齢をサバを読み、早くステージに立ちたくて。
「すっかり大きくなったからな。18歳だって言っても誰もおかしく思わないさ」
「そう?」
「俺と身長なんか変わらんじゃないか」
「俺178センチまで伸びたんだ」
「もうそんなになったのか!」
ジョンより少し身長が高いらしい。いつの間にか抜かれていたわけだ。
「おじさんとポーラがたくさん食べさせてくれたからね」
照れたようにアイヴィーは鼻を掻いた。
そしててすさびにピアノの前に座ると、ぽろんぽろん、と鍵盤をたたきだした。
曲ではない。本当にただ、叩いている。
「…おじさん、俺、おじさんと一緒に弾いてみたいな」
ジョンはドキリとする。デボラのラストワードを思い出したからだ。
やがて、彼の両手はBadfingerの「Without you」に変わった。
彼の父が大好きだった曲、それを彼もそのまま引き継いでいる。
最初、ジョンの前でこの曲を披露したものだった。
「なんだ、ノエルにけしかけられたか?」
つい冗談めかしてジョンははぐらかした。
「ううん…ノエルはなにも言ってないよ。俺鍵盤まだまだだから、俺がギターで、おじさんがピアノで一緒にやってみたいなって思ったの」
「……」
「きっと、父さんが生きてたら、一緒に弾いてたって思うんだ。父さんがマーティンで、俺がSGで…それを母さんが笑いながら見てるんだよ」
アイヴィーは手を止めた。窓の外に目を向ける。
「親子ってそういう感じだったのかなって…」
きっと。
アイヴィーは父親と子ども、あるいは母親と子どもの姿を見ては、遠い憧憬を走らせていたに違いない。はしゃぐさまや手をつないで互いに見つめ合う姿。そして、笑いながら遊びに興じる姿…
目頭が熱くなって、ジョンは瞬きを繰り返した。
ジョンはアイヴィーの両肩にその手を置いた。
アイヴィーがはっとしてジョンを振り仰ぐ。
「弾くか」
「え?」
「一緒に、弾いてみるか」
「…本当?」
「ああ。もちろん」
力強いジョンの言葉にアイヴィーは澄んだ美しい笑顔を見せた。


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