Only The Piano Knows⑧
ノエルが主催となってグロスターのライブハウスで行ったライブは超満員で汗と熱気に満ち溢れていた。まるでロックライブのように。
ノエルが嬉しそうに悲鳴を上げている。
「もー、ゲストミュージシャンにジョンの名前を書いただけでこうだぜ?俺がかすんじゃって。誰のライブなんだって」
ジョンはジョンで緊張とプレッシャーでしかめ面だ。
「あんまり期待されても困るんだけどなあ…昔やったようにはできないってわかってるのかね、オーディエンスは」
ノータイではあるが、スーツを着たジョンはいつもショップにいるジョンとは別人に見える。アイヴィーはそんなジョンをちらとみて、小さく笑った。
「何言ってるんだよ!あんた、変わらないからね昔と!結局弾けるんじゃんって」
「変わってるって。力も衰えたしやっぱり早く弾くところなんかは指が回らん!」
「とかいって、アート・テイタムもってくるあたりでもうね…」
アート・テイタムは1930年代に活躍したジャズピアニストだが驚異の運指で難易度の高い曲を弾く人だ。今回1曲だけジョンは彼の曲をカバーした。
「アイヴィー、そろそろ開演だぞ、大丈夫か?」
師匠らしくノエルがアイヴィーに声をかけた。
ノエルにはわかっている。アイヴィーが大丈夫な事なんか。今回の曲たちを彼は自分なりに表現できるレベルまですでに持って行っている。緊張もなにもないだろう。
「うん。大丈夫」
その表情をみて、ノエルは頷いた。言葉にならない余白に、あまり変わらない表情の端々に彼の嬉しさが見て取れた。
アイヴィーにとっては二人の第二の父との共演なのだ。
「いいなあ、アイヴィー。二人もこんなデキる父ちゃんがいて!」
やり取りをみていてほほえましくなったのか、からかうようにドラマーがアイヴィーの頭をがしがしと撫でまわしていく。
「あっ、セットしたのに!」
アイヴィーがぼやいたが、お構いなしにドラマーはケラケラ笑っている。
何も感じてないわけじゃない。二人の愛情をこれでもかと感じた数か月だった。
「息子より、父ちゃんのほうが心配かあ…」
表情の硬いジョンをノエルがちらとみて、そうつぶやいた。
「当たり前だろ。何年ぶりの舞台だと思ってるんだ!膝が笑ってるよ。ペダル踏めるかな」
かれこれ、ジョンは28歳の時に第一線を退き始め、最後に舞台に立ったのは33歳の頃だったと思う。だから彼は25年ぶりに舞台に立つ。
「でも大丈夫かあ。息子の前で、情けない姿さらせないもんな!」
殊更に大きく、あっけらかんとした声でノエルが言うもんだから周りが笑った。
ジョンとアイヴィーを除いて。
「アイヴィー、笑っていいんだぞ」
意外にもジョンが眉間にしわを寄せたままで言った。
「え、でも…なんか、おじさんを俺が笑うのは…」
「おまえはその変な気の使い方がいけない。本当の父だったら笑ってただろ」
「…ど、どうかな…」
「笑ってたよ。親族じゃなくたって、ここに居る連中は俺を笑うんだぜ?なんでだと思う?」
「いや。それは長い付き合いで…」
「違うよ。それだけお互いに信頼を置いているからさ。反対に笑わないってことは俺らに信頼を置いてないってことになるような気がするんだがな、なあノエル?」
「おうよ。笑いたいときは笑う、それでいいんだよ。おまえなんかまだガキなんだからな?おまえがからかって笑ったって俺らは痛くもかゆくもねーよ!」
ノエルらしい、口の悪いエールを送った。
「さて、みんな行くぜー。お客さん、超満員ですからね。我々もハートをぶっ放していきましょう!」
まるでロックミュージシャンのようにノエルは手を出した。
円陣を組めと言っているようだ。
わらわらとドラマー、ベーシスト、が集まってくる。そしてジョンが手を伸ばし、最後にアイヴィーが大人たちの手の上に自分の手を重ねた。
ノエルはそれをしっかりと上からもう片方の手で挟み込んだ。
「行くぜ!」
ノエルの掛け声にみながYeah!と応える。そして彼らは舞台に歩みだす。
彼らは大歓声で迎えられた。特に25年ぶりとなるジョン・シンクレアの登場にはどよめきとスタンディングオベーションとで歓迎の意をみなが表してくれた。
にこやかに笑いながら、内心緊張のジョンは深呼吸をする。
そうして、ノエルのMCとともにライブは幕を開けた。
その日の舞台は、年月を経てもアイヴィーの心にはっきり残るものとなった。
それほどに印象深い舞台だった。この舞台があったから、本格的に音楽の道を志そうとしたと言っても過言じゃない。
ジョンのピアノがどうして、素晴らしかった。
ジャズもポップもロックも彼は普通に弾きこなすではないか。
彼の出す音にはすべてに意味があり、その意味のせいで曲がより洗練されて聴こえる。
アイヴィーには観客が息を飲む感覚すら感じられた。
そして…
ジョンと、アイヴィーのデュエット。Without You…
アイヴィーはそんなジョンに、主導権を委ねた。それにそって、ギターを弾こうと。
ジョンは静かにインプロヴィゼーションを始めた。
アイヴィーは目を閉じてそれを聴く。
今日のジョンは調子がいいようだ。コーラスをアレンジメントしたものを混ぜ込んできている。
アイヴィーはSGを構えた。ハイトーンの哀し気な音が広がっていく。
アイヴィーが歌い始めると、観客の拍手が聴こえた。
今日のジョンはコーラス部分の頭を強めに出してきた。アイヴィーもそれに沿って声を張る。
ジョンは久々の感覚を存分に楽しんでいたが、いざこの曲を弾き始めるとまた悲しみが襲ってきた。それはデボラがもうここにはいないことではない。
―I can’t live If living is without you―
アイヴィーが目を閉じて懸命に歌い上げている。
人間とはなんと強い生き物なのだろうか。そしてもろくもある生き物なのだろうか。
生きる意志がなくとも生きていて、亡き者に殉じようという気持ちは簡単に覆る。
だが、これでよかったのだ。
生きている意味など見出そうとすることこそ無意味だ。
自分が生きたかったから生きているのだ。きっと自分が弾きたかったから生きているのだ。
間奏にはいる。アイヴィーがこちらを向いてギターを弾いている。バッキングだ。彼は自らに弾け、と言っている。
ジョンは流れるように旋律を奏で始める。激しく上っては下り、そして優しく緩やかに。伴奏に戻ると、アイヴィーのギターソロがアンプを震わせた。粘りのあるSGの音が意外にもこの曲にマッチしている。
5年前、ぼろを着たやせこけた男の子がここまで立派になってくれるとは。
そして、魂を抜かれたような自分が、ピアノを弾ける…表舞台で弾けるような心持ちになれるとは。積極的ではなかった。周りから促されるように弾かざるを得ないように外堀を埋められたに過ぎなかった。だがジョンの心が動いたのだ。そうでなければここまで来ない。
喝采が彼らを包んだ。
ノエルが改めてジョンとアイヴィーを紹介する。一層拍手が大きくなった。
アイヴィーは照れたように微笑んでいる。少し興奮気味なのか観客に向かって手を振った。
ジョンは立ち上がって一礼をした。昔からの癖だ。
―今から、ロンドンを目指してもいいかもしれないな―
ジョンも興奮気味なのか、つい大きな夢を見てしまう。
どうして、やめてしまったのか…理由はいっぱいある。
やめてもいい。もう一度立ち上がってもいい。ひとつでもいい。ふたつを追ってもいい。
自分に制限をかけるのは、もう、なしだ。
ジョンはまたピアノを弾き始めた。キャロル・キングの「You‘ve got a friend」その曲をきっかけに舞台にはノエルとジョンだけになる。
アイヴィーは袖で二人を見つめた。
ノエルが弾きながら歌っている。どうやら二人で練習したようだ。
この歌を選んだ理由はなんだろう、とアイヴィーは考える。
もしかしたら…
それを裏付けるようにノエルはこう歌った。
「You’ve got fathers」
了
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?