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歌が抜群にうまくてもプロにはなれません

【カラオケのうまい人は「カラオケのうまい人」でしかない】
たとえばカラオケですごくうまい人がいたとして、その人は歌手デビューする、ってことは、ごく稀にしかない。普通は「カラオケのうまい人」は「カラオケのうまい人」以上ではない。カラオケですごく上手くて、プロ歌手以上に上手い人は、むしろプロの世界からは、気に障る邪魔な存在になるのが普通だ。能力だけやたら高くてもプロとは認められない。歌のうまさだけでプロとは呼ばれない。「歌がすごくうまい人」は、業界のエコシステムの内部にいて、その内部でこそ価値が高くなる。

【お前は仲間じゃない】
業界という名前の「ある種の社会集団」の中で、最初はその集団内の誰かに声をかけられ、集団内の人たちに存在を認められ、その業界のどこかの場所にいることを認められ、そこからその人のキャリアが始まる。これはなにも歌手の世界だけではなく、学会などでもそうだが、いくらその社会集団内の人以上の成果を、その社会集団の外で上げても、社会集団の人たちは、むしろその成果を上げたあなたを疎ましく思う。その社会集団の誰以上の成果を上げてから、その社会集団に属そうとしても、むしろ拒否されてしまうことが普通だ。その人がその社会集団に入ったとたん、その社会集団の存在意義も変わってしまうし、場合によったら、組織の安定を脅かす存在にしかならないからだ。「お前は仲間じゃない」ってね。実力が本物であればあるほど、そう言われる。

【デジタルは強引に世界を変える】
ところが、最近はデジタル技術を基礎にしたインターネットの一般化で、社会集団の中にいる人が、社会集団を構成する外部の人と、社会集団の構成の肝となっていることについて語らなければならないことがあったり、逆に社会集団外の第三者から「その社会集団内の人より優れた成果を上げている奴がいるぞ」などと、社会集団の内部の組織構成原理そのものが大きな揺さぶりをかけられることが多くなった。

【クリックひとつで】
インターネットはコタツの上にあるマウスのクリック一つで、自分が今いる場所や社会集団の外とのアクセスを簡単にしたため、今までにはない新しい社会集団が組織化され、同じような、古くからある「本家」とも言うべき古い社会集団の持つ秩序を脅かし始めている。いや、今はスマートフォンだから「ポケットにあるスマホを取り出してタップするだけ」ってことになるか。しかもコタツの上ではなくてもいい。通勤電車の中でも、街を歩いていてでもいい。

【大衆音楽は変わった。次は誰の番だろう?】
例えば、前出のカラオケの例は興味深い。いま、カラオケには全国どころか、世界をまたにかけた集団もある。この集団のもともとの出自は、芸能界から派生した「素人芸(芸能界のモノマネ=二番煎じ)」が基礎のはずの社会集団だから、芸能界と置き換わることができない「カラオケの名人の集まり」でしかなかった。社会集団が違ったのだ。やがてその集団内での構成員どうしの切磋琢磨を経て、組織が、言い換えれば「ある基準による人の上下」が出来、新たな組織となり「本家」よりよほどお金が潤沢にまわる大きな組織に、現在は成長したりしている。結果として、本家であるとの自負は当然ある歌謡界などの出す「作品」も、カラオケで歌いやすいものでないと商品としての価値がない(組織の外部に商品の価値が認められない=組織の価値そのものを下げる)、ということになる。そして本家の組織の中での価値とは違う価値で、いつの間にか本家も動き始める。そうしないと、本家の組織も生きていけないからだ。古い組織はそこで「成長」から「守り」に姿勢を変える。組織もその構成員も、そのほとんどがその組織内でしか生きられないのだから、仕方がない。ごく稀に、組織でも飛び抜けた実力がある構成員は、どの組織に行ってもその組織の中で生きていけるだろうが、そういう人は数少ない。

【「社会集団」が崩れるとき】
人間の社会は、社会集団という、より小さな社会集団の寄り集まりでできている。その一つ一つの社会集団内で閉じていた組織内評価、その組織内評価による、その構成員である一人の人間の「居場所」。こういうものが「インターネット」によって、より外部との接触が容易になった。内部から外部へのアクセスが簡単になっただけではなく、外部から組織内へのアクセスも簡単になった。

従来であれば、組織内での切磋琢磨だけが組織内ヒエラルキー(組織の構成をしている構成員の上下関係)の下から上へ上がる要因だったのだが、組織内と組織外のコミュニケーションが増えるに連れて、それだけがヒエラルキー上の位置を決める要因では無くなった。結果として組織が体をなさなくなり、形骸化した組織も出てくる。

【社会集団も地域集団も壊れそうだ】
社会全体のコンセンサス(共通認識)としての「お金の価値」が、組織内に入ることにより、他組織との連携が進み、組織そのものの存在意義を壊すこともある。そしてこれが、組織を超えて、と言うだけではなく、地域を超えてさえ行われる。

(1)世界共通のコンセンサスである「お金の価値」というものの価値の測り方。そして人の数万年の歴史において抗し得ない物理的障壁であった、(2)「地域」の消滅

この2つの要因が重なって、現代という時代が世界という単位で再構成されている。おそらく、それが今だ。

山のあなたの空遠く
幸い住むとひとのいう
ああ、われひとと尋(と)めゆきて
涙さしぐみかえり来(き)ぬ
山のあなたになおとおく
幸い住むとひとのいう

(カール・ブッセ/上田敏訳)

デジタル技術で、インターネットの普及に仕事を見出して来た自分は、図らずも「ここ」を「山のあなた」にしてしまった。どうやらそういうことらしい。結果として「山のあなた」よりさらなる遠くの「山のあなたのなお遠く」もまた、ここに引きずり引っ張って来た。何という旧き良きロマンの無い話ではあろう。自らロマンをもとめ、それを望み、仲間と一緒にやり遂げた結果なのだ。生きている間に、結果が見られたのは、幸いということなのだろう。いま、世の中のほとんどの人が、これがないと生きていけない時代に急激に変わった。「それ」を手にして見れば「こんなものか」というものではあるが、ここからさらに新しいものを作る必要もわかってきた。

いま、そんなところにいます。

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