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「赤穂浪士」は「テロリスト」か?

【日本の年末と言えば「忠臣蔵」】
古の日本の戦後昭和・高度経済成長期に流行った年末ものと言えば「紅白歌合戦」「ベートーベン交響曲第9」「忠臣蔵」がその筆頭であろうかと私は勝手に思っている。特に忠臣蔵は、亡き主君の敵討ち物語として、長く日本の庶民に語り継がれ、時代小説を生業とする小説家やノンフィクション作家にあっては、これを題材にしないと小説家とは認めてもらえない、というくらいの題材だった。今どきで言えば、プログラマーと言えばphpができないプログラマーはいない、と言うくらいポピュラーなのが「忠臣蔵」である。例えが、どっか違う気がしないでもないが。

12月14日は、毎年、東京港区の今や高齢者のひしめくハイソな住宅街・高輪にある泉岳寺で「義士祭」が開催されている。最寄りのJRの駅はあの最新の設備を誇る「高輪ゲートウェイ駅」だ。昔からあるのは都営地下鉄浅草線の泉岳寺駅だが、最近は影が薄い感じがする。お寺近くの、中小企業の師弟を経営者に育てる、という各種学校の生徒が赤穂浪士に扮してパレードをする(した)。このパレードでは、打ち取った吉良上野介の首級(しるし)に見立てたものを白い布にくるみ、槍の先から吊るしたものが、赤く部分的に着色され、それらしさがリアルなのが怖いのだが、それが一部では話題になっていたのを思い出す。

【「正義」への疑い】
しかしながら、1990年代始めになると「正義」への疑いもまた一般化してきた。日本の太平洋戦争での敗北をまだ日本人の記憶の端っこに残していたこの時代、「そういや、戦前は鬼畜米英って言ってたのに戦後はみんなひっくり返ったよな」という懐かしさをまだ覚えている人は多かった。そして「正義とは相対的なもので、その人のいる立場によって変わってくるものだ」という考え方が一般化した。

【赤穂浪士はもとサラリーマンのテロリスト】
そんな時代、作家・池宮章一郎が「47人の刺客」という小説で描いた赤穂浪士の姿は興味深く当時の日本でも受け止められ、後には市川昆監督で映画にもなった。「刺客」とは現代風に言えば「テロリスト」である。この小説では、47人のお取り潰しになった赤穂藩の浪士(要するに大量失業したサラリーマン)はやむにやまれぬ事情から集団テロリストになり、豊富な資金を元手に平和な元禄の江戸で緻密な計画的テロを決行した、という扱いとなった。いや、大石内蔵助は、テロ計画があることを隠すため連日女郎屋に通ったというからテロリストというよりはエロリストじゃないのか?という話も聞いたことはあるが、真相は定かではない。時代が変われば扱いも変わるのだ。かつての「義士(正義の士)」は、この辺りからあやしくなった。いや、「正義」そのものが「怪しいもの」と言われるようになった。ドラえもんの「ジャイアン」もまた、家庭の事情でああいうキャラクターに育ったのだ、という裏話も言われるようになり「悪人」「善人」の境界線は、なくなった。

【ネット使いのZ世代に言わせれば】
たしかに、ネットが当たり前のZ世代の若者に話を聞くと「あれってなんですかね?よくわからない。だって、規則で暴れちゃ絶対いけない、ってところで暴れたんだから、罰を受けてあたりまえですよ。なんで逆恨みして殺人までするんでしょうね?弱い老人をよってたかってまでしてね」と、おどろくなかれ、吉良上野介がかわいそう、というように変化している。

【昭和も遠いが元禄も遠い】
そんな評価もある忠臣蔵だが、屈強で忠義に燃えた赤穂浪士を称える年末の義士祭は、新型コロナウイルスという人智を越えた怪物にはひとたまりもなく、昨年に続き今年も法要のみとなり、一般の人は多く集められない、ということになった。所詮、人の世も自然の上の小さなコミュニティのひとつにすぎない、ということなのだろう。

【正義はわかりやすい。世の中はわかりにくい】
そして、今は、わかりやすいものは、わかりやすいが故に「胡散臭い」と言われる時代になった。「正義は胡散臭い」。時代が変われば正義も変わる。なんだかより一層わかりにくい時代に、私たちはいるのかもしれない。

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