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「自分の技術はプライスレス」ではない。

以下の記事はどちらかというと最近の若い研究者や技術者向けではない。むしろ、高齢の研究者や技術者に向けたものだ。若い技術者や研究者には常識と言えるものだろう。

しかし、世代の間の認識ギャップってのはあって、どちらが優位、ということでもない。時代に合わせて自分を変えていくのは、年齢を経るほど、できにくいことになるのは、まぁ、人間の普通なんだけどね。

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【「知財」に価値がある】

かなり前から特許などの知財は知財だけで売り買いされるのは良くご存知だろう。「知財」だけの売買の市場も世界的にできている。技術や知財に価格表が付けられ、技術者の給与も高低様々だ。米国では全ての研究者のデータベースがあり、研究者や高度な技術者は転職のときにグレードが付けられ、給与が決まり、高度技術を持った人材は履歴書を出す必要もほとんどない。「労働市場」ができている。

ところで、目に見えない「知財」にはなぜ価値が生じるのだろうか?

【製造業などのビジネスが知財の価値を生む】
結局、知財はそれを利用する製造業などが知財を利用して製品をつくり、その付加価値が高ければ=本来の製造原価(資材+人件費+運送費+梱包費+雑費等々)よりも高い価値が生まれれば、買う人はその製品に価値を見出し、製造原価以上のお金を払って納得する。製品デザインにかかる費用は、これらの製造原価のうちだ。しかし、現代のハイテク製造業の場合は特に「こういうものができる」という「工夫=知財」が多くの価値を生む。当たり前の単純な資材の組み合わせ方の工夫が大きな利益を生む。それが「知財」である。「知財」だけで「市場」ができ、知財だけでビジネスができ、技術とお金のやり取りがされる。

【特許も変わった】
実は私も経験がある。現在世の中に普通に流通している、それこそAmazonで売っているものを組み合わせただけの「自分の仕事のための工夫」というレベルの「製品」を自分向けに作って、それを弁理士さんに見せたことがある。すると、その弁理士さんは「これ、特許が取れます」と言う。言われるままに特許出願したら、出願OKになってしまった。独創的な研究、尖った発明などがあるわけではなく、それこそ当たり前のものを自分用に組み合わせたもので、後にそれは他の会社で製品として売る事になった。

後で知ったのだが、出来上がったものが、ある仕事に使われ、その仕事の生産性を上げる「もの」と認められると「製品特許」とも言うべきものも、特許として認められるようになっていた。これは世界的な流れだ。

【研究者・技術者の仕事はプライスレスではない】
研究者や技術者の仕事、知識や知見、そういったものには「価値」がある。「価値」と言う以上「価格表」がなければ世間はそれが価値のあるものと認めないし、利用もしない(価格がわからないから、できない)。日本は高度経済成長期には、研究者や技術者には多くの給与を払い「加工貿易」の利益を最大限に上げる、ということをしてきたため、研究者や技術者はおだてて持ち上げられ、給与も高かった。安いときでも「価値は認めるけど、うちの会社では払えないからこれで勘弁してくれ」という給与を払った。それでもなんとかやってこれた。結果として、高度経済成長期を経験した研究者や技術者は自分の持つ知見や知識には「無限の価値がある」と思い込み、値札を付けて来なかった。しかし、世界的な視野で知財や知財を持つ人材を見ると、値札はついている。プライスレスではない。しかも、そのプライスは、時代の流れとともに劇的に変わる。価値のある分野、価値の無い分野も刻々と変わる。

【自分に値札を付けて歩け】
いま、製造業はITの時代、しかもソフトウエアの時代になって、知財は世界的にも重要なものになっている。グローバル化する経済では、日本の経営者もある程度以上の知識を持って「技術者や研究者のプライス」を値踏みしないといけない時代になった。時代に合わせて勉強し、経営を成り立たせる必要がある。一方で、研究者や技術者自身も自分の値札を付けて歩く必要がある時代だ。しかし、高度経済成長期で「お金」を気にせず生きてきた高齢の研究者や技術者の多くは「自分に値札をつけて歩く」ことには慣れていない人が多い。今からでも遅くないので「お金」と「経営」、「儲ける仕組み」を、勉強し「自分に値札を付けて歩く」ようにすることだ。そうしないと研究者や技術者は世界的に生きていけない時代になった。

技術者や研究者もまた「お金を生む仕組み」としての「経営」を勉強し「自分のプライス」を客観的に掴むことが必要な時代になった。

今の若い研究者や技術者は、オンラインで転職活動をするのが当たり前だから、当たり前にわかっていることではあるんだけどね。

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