「デジタル化」は道具。デジタル化しただけでは効率化しない。
【日本社会全体の効率化】
日本の多くの制度や社会の仕組みは「日本人はみな同じ」という単純な前提の上に構築されている。富国強兵の時代に作られたこの「原理」が全ての日本社会の制度の根底にある。言い換えれば、日本においては「ロボットのような人間」が当たり前、とされる。しかし、現代はデジタル化の急激な進展で「ロボットがやることはロボットがやる」ほうがはるかに低コストで成功率も高く効率も高い。定形業務は人がやらず、ITに任せ、人間は「ロボットがやる以外のこと(不定形業務)」を行う必要がある。「ロボットのような人間」は世界的に必要無い時代になった。
【デジタル化は「定型業務」と「非提携業務」を切り分けるところから】
「デジタル化」「DX化」というのは、デジタル機器を使えるようにすることではなく、「定型業務」と「非提携業務」を切り分け、定型業務をIT化で最大限に合理化することだ。
【「ワクチンの接種率の表現の違い】
話が違うように思うだろうが、前記のような前提、原理でその社会を見ると、ワクチンについてもこういう表現の違いが出てくる。
●欧米ではワクチン接種率は「接種可能人口のうちXX%が接種」と言う言い方をしている。
●日本ではマスコミも「全人口のうちXX%が接種」という言い方をする。
つまり日本では「全ての日本人は同じ」という前提で動いている。実際の日本社会は戦後の豊かな高度経済成長期を経てなお、単純ではなく、時代にあわせた制度を作り込む必要が、地域、企業、学校など、様々な組織で必要であるが、日本ではそれができていない。
日本の「非効率な現状」は、実は「そこ」から来ている。
ここを変更しないと「デジタル化」は混乱を産むだけになるのではないか?と私は危惧している。