牧野富太郎博士のこと
【あくまで自分のことだから、ってことで書いておこう】
以下に書くことは、自分自身のことであって、まぁ、こんなこともあったよ、読むと少しは面白いかもしれない、という話。その程度のことなので「私的日記」というくらいのものだが。
【NHKの朝ドラ「らんまん」の主人公】
自分はテレビはこの20年以上、ほとんど見ない。自室に地上波のテレビはあって、いつでも見られるようにはしてあるものの、大災害のときのニュースのときに電源を入れるだけだから、今さらNHKの朝ドラ、と言っても、あまり興味が湧かない。しかしながら、巷では「2023年4月からのNHKの朝ドラの主人公は牧野富太郎博士」という話は、あちこちで聴くようになった。書店に行っても牧野博士の本のコーナーが作られていて、よく売れているらしい。しかし、牧野博士ご自身は既に故人であり、当の日本でもどちらかというとあまり話題になったことがこれまであまりない。自分としても、私とその周辺くらいしか牧野博士のことを知らなかったので、まさか今になってこんなに有名になっている、というのはちょっと信じられない。
【牧野博士と父の話】
牧野博士は私が生まれたときには既にこの世の人ではなかったので、直接私はお会いしたことはない。しかし、私の父は医師で、牧野博士の5人いた主治医の一人だった。牧野博士が亡くなった臨終の床の傍らにも父はいた。この話は「人間臨終図鑑:山田風太郎著」の牧野富太郎の項目に書いてあったのだが、そういえば、故・山田風太郎氏も元は医者だった。そして、それからちょうど1週間で私が生まれた。父に言わせると「牧野博士が生まれ変わってきたのかと思った」と言うのだ。それを子供の頃から何度か聞かされていた。
【牧野記念庭園でもらったハッカの苗】
私がまだ小学校に行くかいかないかのとき、私は東京・練馬区の自宅近くにあった、牧野博士の東京の自宅だった「牧野記念庭園」を訪れたことがあった。何度か通った。そこで、そこに住んでいるおばあさんと何度か言葉を交わしたことがあった。私が自分の名前を伝えると「ああ、あの先生の。これ、持っていきなさい」と、ハッカの小さな苗をもらった。そして、自宅の庭にそれを母が植えた。ハッカは私が長じる前に、かなり庭で増えた。いま思えば、あのおばあさんは牧野博士の娘さんの「鶴代さん」だったんだな、と、最近、牧野博士の本を読んでわかった。
【牧野博士の後】
牧野博士のことを書いたいくつかの本を読むと、植物が好きで好きで、とにかく好きだった人で、気がついたら東大で教鞭を取るまでになったことが書かれている。実力一つで生きてきた感じの人だ。だから、人間関係では様々な同じ分野の「権威ある人」に疎まれ、苦労も多かったのだ、ということがよくわかる。今で言えば「さかなクン」の大先輩のような人。言われて見れば、自分も「好きなこと」で結果としてここまで来たし、同じような苦労もした。似たようなものか、とは思う。「牧野博士の生まれ変わり」。そう言われても子供のころはなにもわからなかったのは言うまでもない。しかし、いま、その言葉を時々思い出す。
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