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「仕事が楽しい」ITエンジニア

以下の話は、「あくまで自分の場合は」であって、それには「自分の時代は」ということも含まれる。まずそれは念頭に置いておいてほしい。

【ITという言葉が無かった時代】
子供の頃からなにかと自分でものを作っていくのが楽しかった。大学は工学部。卒業して最初に入った会社は学校の就職課の世話にならず、自分で探してきた(今は日本にはないオーディオメーカーだった)。大学では電子工作などが好きな仲間と、トランシーバーを作ったり、初期のパーソナルコンピュータに触った。当時は、プログラマブル電卓が出てきたばかりで、よく使った。学校の授業では大型コンピュータ(メインフレーム)にも触った。デジタルという言葉はあったが、ITという言葉はまだなかった。高校生の時はアマチュア無線にのめり込んで、英語で赤点をとった。小学校から中学校、高校と進むうちに、電子機器のテクノロジーは、真空管から半導体になり、半導体は集積回路になり、集積回路はICと言われたものから、LSIになり、今やそれは気軽に「チップ」と呼ばれるようになった。中学校くらいから秋葉原通いが始まった。まだ家電の街で、コンピュータもなく、ヲタクの街でもなかった。結果として、アナログ電気回路からデジタル回路、ソフトウェアまで、時系列で全部を勉強していくことになった。これは自分でも自然なことだったが、当時にしてみれば、このあたりを全部わかっている技術者は少なかった。

【同年代にいる人たち】
なるほど。後で考えてみたら、ほぼ同年代には、スティーブ・ジョブズもいた。ビル・ゲーツもスティーブ・ウォズニアックもいた。ソフトバンクの孫さんもいた。いまはIT業界から離れているが、アスキーの西さんもいた。自分はそこまで金持ちではないが、エンジニアとしては一通りやってきた感じがある。そして後半は独立してやっていた時期も長い。つまり、小さいながら企業経営もしていた。

【あらゆる業種に】
インターネットも、最初は「デジタル技術ではそういうこともできるよな」くらいの目で見ていたが、1990年代の終わりには、携帯電話でできるインターネットの仕事に関わり、インターネットの推進側にいつの間にかいた。それが実感ではあるんだが、やっていくうちに、これは社会を変える「種」であることに気がついた。そしてそれから20年ほどで、世界中がITというもので、ここまで変わるのか?というのを見た。C言語という、現在の多くのコンピュータ言語の元になる言語のプログラミング実習書を書いたが、これも多くを売った。そしてインターネットがなければ何もできない、という時代になった。アッという間に。

【「あらゆる業種」ってことは】
途中をかなり端折っているのは、あまりに多くのことをしてきて、覚えていないとか、書くとそれだけで字数が尽きてしまうからだが、とにかく多くのインフラ系のITの仕事をこなしてきた。あらゆる業種の人と話し合い、その仕事に最適なシステムを提案してきた。今でも動いているものがあったり、既にシステムのライフタイムが終わって新しいものに置き換わっていたり。今はそんな感じだが、とにかく忙しかった。

自分の場合は「あらゆる業種」の人と話をしないと仕事にならなかったから、コミュケーションは仕事の重要なスキルだ。最初は自分は白紙だが、短い時間で相手の言いたいことがわかるように勉強もした。短い時間に最適なシステムをまとめる必要があったから必死だった。

【いつも新しいから楽しい】
結局、多くの業種の人を相手に、その人の言葉の端々も理屈ではない感覚で感じ、困っていることや不安なことを、先回りしてわかるようになり、初めてシステム開発ができる。望むと望まないとにかかわらず、この仕事は「柔軟な頭」「理解の速さ」「心使い」が重要だと感じた。一方で、客先が変わればそこには「新しい自分」を作ることが必要なので、それもまた「楽しかった」。この「生まれ変わり」「自分を新たな世界に生きる新たな人間として作っていく」のは幾度も体験した。自分の場合は、この快感のために、この仕事をしてきた、と言っていい。

【ITエンジニアの面白さとは】
ITエンジニアの仕事。その楽しみは、この短い人生の中で、多くの世界に、深く関わって、興味深い世界をたくさん歩くことができることなんだろうな、と思っている。海外旅行は誰でもできるだろう。しかし多くの世界の都市に深く関わることは、かんたんにはできない。でもITエンジニアはそれができる。#エンジニアでよかった。そう思うのは、つまり、そういうことだ。おそらく「豊かな人生」なんだろうな、と思えるところだ。

お金、恋愛、家族、などなど、人生を豊かにするものは少なくないだろう。しかし、自分の場合は、だが、気がつけば、ITエンジニアがまだ「システムエンジニア」「システムアナリスト」「ハードウエア」「ソフトウエア」「ネットワーク」「Webデザイン」などと別れていなかった時期、また「インターネット」という言葉さえ一般的ではなかった時期にこの仕事を初めて、そのどれをも、手にとって実際に動かす仕事、多くの業種のお客様と直につきあって、世の中の広さを感じたこと。その「豊かさ」それを感じられるところにいた、ってことだろう。合間に音楽にのめり込み、合間に新聞記者もやり。気がついたら、この短い時間に、どれもこれもなんとかモノにしてきた。その「豊かさ」というのはそれだけで楽しいものだ。

ITエンジニアで良かった、と思うこと。それはこの人生の豊かさを、それを使うだけではなく、創造して、作って、多くの人たちに役に立つ、ということをした、ということだ。そして、多くの今の若い人にも、この楽しい仕事で、人生を豊かにしてほしい、と思う。それはおそらく「できるはず」なのだが「やっていない」だけなんじゃないか?と今も思っている。

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