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「台湾」についてせめてこれだけは日本人として知っておいてほしいこと

【「台湾」に関わったこと】
2006年から2012年まで、東京で発行している「台湾新聞」の日本語版副編集長というお仕事をした。多くの台湾と、台湾に関係ある方々との交友はこの頃から始まった。取材で台湾に行き、なによりも台湾について多くの日本人以上の勉強をした。面白かったのは「台湾」について調べていると、中国から直接中国のことを調べたり聞いたりするよりも、中国のことがよくわかった、ということだ。まずは思いっきり概略の台湾の歴史を見ていこう。日本人が台湾を語るとき、あるいは台湾の方々とお話をするとき「せめてこのくらいは知っていてください」ということをここに書く。

【「中国」ってなぁに?】
前からいろいろと論争のある「中国」だが「一中各表」というのがあるのをご存知だろうか?これは「中国」とはなんの略称か?という「答え」の一つである。「台湾の政府」と「大陸中国の政府」が合意したにも関わらず、文書にはなっていない、という、多くの日本人から見ると不思議な「合意」のことで、内容は「中国」は一つであるが、大陸中国の政府が「中国」というときは「中華人民共和国」の略称のことであり、台湾にある中華民国政府が言うときは「中華民国」の略である、という意味だ。1992年に同意したらしいので「九二共識」とも言う。ただし、台湾の政府も大陸の政府も、同じことに合意したわけではないらしい、という、さらにややこしいことに現在はなっている。大陸中国を実質支配しているのが「中華人民共和国」であり、台湾にある政府は「中華民国政府」である。つまり、両者の共通認識としては「台湾」は国の政府の名前ではなく「地域」の名前ということになる。ただし、「台湾を国名にしよう」という運動も台湾にある。ところで、この両者はお互いを「国」とは認めていないので、この両者をひとくくりに表現するときは「両国」とは言わないで「両岸」と表現する。また、私がいた当時の台湾新聞の立場では、弱小零細ではあるものの、とりあえずはマスコミとして、記事の中では現在の中華人民共和国政府は「大陸中国の(にある)政府」と表現するのだが、台湾にあって、台湾を支配している現政府は、日本国政府の立場としては「国」ではないから「台湾政府」と言ってはいけない。「台湾」という国は現状は無い、ということになっている。台湾はあくまで「地域の名前」であるので「台湾の(にある)政府」と表現しなければならない。現在の台湾に本拠のある中華民国政府は略称が「中国政府」であり、英語ではChinaである。だから「China Airlines」という航空会社は「中華航空(日本での正式名称はチャイナエアライン)」だが、大陸中国の航空会社ではない。(地域としての)台湾にある航空会社だ。また、現在の日本の政府は「大陸中国の政府」を「中国政府」として「国の政府」として認めているが、台湾にある「中華民国政府」は「国」として正式に認めていない。ちなみに中国を「シナ」と言う人の一群がいるが、これは「China」のローマ字読みである。さらに英語で「China」とは、陶磁器のことを言う。

【台湾の近代史から】
「台湾」の歴史を紐解くと、日本との関わりがいろいろ見えて来て面白い。実際に明確に文書に残っている日本との関わりは、大陸を統治した「明」の時代に遡るが、そこから書くと長くなるから、戦前、日本が台湾統治をしていた頃から、詳細省略の駆け足で見てみよう。

【なぜ台湾は日本が統治したか?】
「日清戦争」で、日本が当時の大陸中国を統治していた大国「清」を下し、清としてはなにか日本に戦勝の印として、渡さなければならなかった。そこで、清としては「辺境の地」だった、台湾を日本に渡した。そこから太平洋戦争での日本敗北までの50年間、台湾は日本の統治下になった。その間に、日本政府は台湾に多くの投資をして近代化を図った。その当時の清は戦争に負けてもやはり大国だったし、日本はまだまだ小国だったから「ここ、なんか辺鄙なとこだけど、いる?」と言われて「じゃ、もらいます」と伊藤博文さんは言った、ってことだね。台湾は戦前の日本政府が近代化した、というのは、ウソではない。

【太平洋戦争集結前後】
1945年、太平洋戦争終結・日本敗北になると、日本政府と台湾にいた日本人は統治していた台湾から日本本土に引き上げていった。「大陸」では「国共合作」で「中国国民党+中国共産党」の勢力が日本を大陸から追い出した。それが終結し、大陸から日本が追い出されると、大陸では再び「中国国民党」と「中国共産党」の争いが始まった。台湾では1947年に「2.28事件」が起きた。この事件は中国国民党に代表される「外省人」が、それ以外の古くから台湾に住む「本省人」を弾圧した事件として有名だ。記録によれば、2万人以上の犠牲者が出た、と言われている(現在の記録では1万8千人~2万8千人となっている)。そして、その2年後の1949年に、今度は中国国民党が大陸で中国共産党に破れ、台湾に支持者らとともに敗走してきて「中国国民党・臨時政府」を作った。現在の台湾に関する多くの出来事が、この時期に始まっている、と言って良いだろう。詳細を語ればいろいろあるのだが、この「大筋」が、普通に日本で暮らしている現代の日本人には見えにくい。日本人が台湾を語るとき、まずこの経緯を覚えておく必要があるのではないかと、私は思う。

【歴史は大筋だけでは面白くない】
実はこの「大筋」以外の様々な興味深いエピソード(「横道」だね)がたくさんあり、それを追うのも歴史を読む楽しみではある。たとえば、「中華民国」は、孫文が1911年に起こした辛亥革命の戦闘で清を倒して建国したのだが、孫文は世界中を回って革命のためのお金を集めに回っていて、日本にも長く、実は東京では。。。などという話が、山のように出てくる。戦前、日本は「アジアの首都の1つ」と言っても良い場所ではあったことが、これらのエピソードから伺い知れるのも、また、面白い。ところで、日本で大震災があった2011年って、辛亥革命からちょうど100年、という年で、そのときの台湾の政府の政権与党と総統は現在の「民進党(蔡英文総統)」ではなく、孫文以来の「国民党」の馬英九氏だったわけで、ちょうどその年に私は「台湾新聞」にいた。大小、様々な話には、語れること、語れないこともたくさんある。本当は酒飲み話で話すと面白いと思うのだが、このコロナ禍に、お酒を飲みながらツバを飛ばすような話はご法度なのが残念ではある。

【「台湾人」とは?】
現在の台湾では過去の記憶は薄れつつあるものもあるが、未だに「台湾人」には、大きく分けて2つある、と言われている。前出の「外省人」と「本省人」である。前述のような大量殺戮事件があったのだから「本省人」「外省人」という言葉を当事者たちやその家族が忘れるわけはない。日本人である私たちは、「本省人」系の人と話をするのか?それとも「外省人」系の人と話をするのか、良く考えて言葉を選ぶ必要がある、という場面がある。日本人はそういうことに慣れていないので、つい「台湾人は」と、無意識にひとくくりにすることがあるが、それが大変に台湾の人たちに失礼になることがあるのは、十分に気をつけておくべきことだ。なにを隠そう、私も取材でそのことを考えずに高名な台湾人の先生に取材したとき、失敗をしたことがある。

【今の台湾】
今の台湾といえば、台湾グルメ、半導体のTSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Corporation)、などなど、話題に事欠かないだけではなく、第二次大戦後は日本に続いて、アジアでも突出したハイテクによる経済発展を遂げた地域として今は知られている。実際、日本人が行く外国で、一番違和感がない外国と言えば台湾だろう、と、私も思う。台湾には高い山がある。太平洋戦争で有名な暗号「ニイタカヤマノボレ」の「ニイタカヤマ」は台湾の山だ。美しく豊かな資源に恵まれた海に囲まれ、食べ物も美味しい。台風も多いが(「台風」は「台湾の風」の意味、ということが語源だとも言われている)気候も良く、居心地が良い島だ。台湾のことををポルトガル語で「Formosa(フォルモサ) - 美麗島」と言うが、その名に違わないところだ。なお、台湾の女性はみんな美人である、という話を、日本のネットなどで見かけることがあるのだが、これについてはノーコメントでお願いしたい。

【概要・台湾ではあるんだが】
とりあえず「概要」と言いつつ、かなり長くなってしまった。まだまだ語りたいことはある。おいおい、ということで行ければと思っている。また、台湾についてはいろいろと議論がある話もあるので、間違ったところがあれば、ぜひ、コメントをいただき、治すべきは治していければと思うので、ご意見よろしくお願い致します。

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