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コロナで重症化したとき起きたこと

【コロナで重症化した】
コロナは、変異種が広まる可能性がある、と報道されている。これからしばらくは、やはり警戒する必要があることは言うまでもない。でもコロナで重症化する、ということは、かなり怖いことだ。以下、それについて書いておこうと思う。これは自分への戒めでもある。なにがあっても、忘れられないことではある。

【ICUに入る直前まで自覚症状がない】
自分は昨年末にPCR検査陽性で最初「軽症~」の病棟に入った。そこで、レムデシベル、アビガンの投与があったが、入院4日目にして重症化。24時間、指に付けていた、ネットワークに接続されたパルスオキシメーターで肺機能の極端な低下が始まったことがわかり、急遽、ICU(集中治療室)に運ばれた。自覚症状は全く無く、ICUに入る直前で言われた。「ここに来た理由がわかってますか?」。それくらい、顔色も良かった。

【ICUでの経験】
ICUにはほぼ2週間いた。もちろん、その間の記憶も時間の流れも自分では定かではない。今から思い出せば、幻視が見えた。幻視や幻聴による妄言もあった。周囲の人たちには、次々と布が被せられていった。亡くなったのがそれでわかった。看護師さんから「誰かに言うことはありませんか?」と聞かれた。そのときは全く頭が働かなかったが、後で考えてみたら「あれは遺言を聞かれたのだ」とわかった。

【他人から見た事実】
コロナは「世界大戦の戦場の最前線」である。幸いにしてそこから生きて戻れた。事実はそれだけだ。

【残るPTSD】
退院して戦場の最前線から戻ったものの、戻った現世も未だに「第三次世界大戦」の終わりが見えていない「地獄」である、と、思った。退院してから時間も経って、身体的なものは以前に戻りつつあり、とりあえず普通の生活に支障はなくなった。しかし、心理的にはPTSDが残っている。極度の「感染に対する恐怖」がまだある。

【自分の大切な人のために】
周囲を見渡せば「自粛はもう飽きた。どこかに遊びに行きたい」という話ばかりだが、その輪には入れないし、当然「あそこに行きました」「美味しいものを食べました」という話を毎日のように見るFacebookページは、嫌悪というのではないが、その「お気楽さ」が、全く自分とは違う世界を見ているかのように感じる。羨ましいとは思わないが、自分だけではなく、自分の家族や、職場の同僚などの感染の危険を冒してまですることでもなかろう、と言う思いはどうしてもある。この世は自分だけで生きているわけではないからだ。

【自分のことしか考えない人】
いま、自分の脳内に残っているのは、その戦場で命をなくした方々の記憶と、ICUで自分が見聞きしたこと、その後に、ここにある自分の存在だ。軽症で済んだ方も多いだろうが、そういう人でも「もしも重症になって死を迎えたら」ということを常に考えて暮らしている人も多いだろう。
世の中の多くの人は、自分のことしか考えていない。だから「お気楽なSNSへの投稿」は絶えないだろうが、私はそういう投稿をする人の、この状況に対する「他人への配慮の無さ」に、人間として危ういものを感じ、心の奥底から湧き上がる生理的な嫌悪感を感じている。おそらく、それは太平洋戦争の記憶がまだ新しい頃の日本にあった、戦死した人への「生き残ってしまって、ここにいる人」の懺悔のようなものだろうし、それが多くの人の記憶から忘れられた頃に、ぼくは子供時代を過ごし、ここまで生きてきたのだから、「それ」を忘れる人や、気にしない、という人が多くいることは想像がつく。

【コロナは第三次世界大戦?】
コロナも同じだ。「感染症」による「第三次世界大戦」は、まだ終わっていない。緊張感を継続しなければ、失わなくても済む、多くの命が失われていくのではないか。そう、私は思う。

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