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「コスパ」と戦争
【ロシアのインフラへの攻撃】
ロシアのウクライナへの再びの「反攻」は、前線を支える「銃後」への攻撃となった。戦争において「前線」はプロレスのリング。「銃後」とは観客席の「お金を払って試合を観に来る人たち」である。この「お金を払う人」がいなければ、挑戦者は試合がなくなるから「不戦勝」となる。戦いの場そのものがなくなる。
【国際紛争には仕切る権威はいない】
しかし、戦争には戦争を仕切る団体や権威があるわけではないから、勝つためにはあらゆる方法が使われ、それにはルールはあっても、それを従わせる強大な勢力がなければ、ルールはないのと同じだ。
【始まった「普通の戦争」】
つまり「前線の背後にあって前線を支える社会を破壊する」という行為は、第二次大戦でも、敵味方双方で行われたし、これからもそういうやり方は「普通の戦争」である以上、行われるだろう。
【将を射んと欲すれば、まず馬を射よ】
米国ロサンゼルスには、かつて「市電」があった。その庶民のための交通網は自動車会社が全て買収し、市電を潰した。そして、庶民もクルマを買わなければ市民生活が成り立たないようにして「クルマ社会」を作った。サンフランシスコでは「市電」を行政が守り、その環境も整っていたため、クルマだけの社会にはならなかった。ロサンゼルスで自動車会社が行ったビジネス拡大のための企業買収と、今回のロシアのインフラへの攻撃」は本質的に同じだ。日本でも「将を射んと欲すれば、まず馬を射よ」という古くからの格言もある。同じアナロジーであることは言うまでもない。都市ゲリラだって同じことだ。
【戦争は「コスパ」で考えるもの】
ということは、今後起こるであろう「戦争」は、そのコスパの良さゆえに、最初に「前線」で起きるのではなく、最初に「銃後」が狙われるのだろう。であれば、今私たちが生きている普通の社会のインフラをいかに守るか?が重要なことになる。手前味噌で申し訳ないが、過去に出版した拙著では、おそらく戦争で一番コスパの高い「サイバー戦争」について語った。
【コスパの良い戦争とは】
「敵」は、「一番コストがかからない・効果が大きい、攻撃の方法」を取るに決まっている。戦争の目的は「相手の地域の支配をすること」であって「相手の地域を破壊すること」ではない。破壊するにせよそれは「支配するため」である。戦勝国は占領地域を破壊したら占領地域の復興に多大な費用がかかれば、コスパが良くない、ということになる。復興のカネがかかりすぎれば、戦勝国そのものの経済さえおかしくする。実際、戦前の日本は日清戦争で台湾を得て50年間台湾を領地としたが、それが起こりそうになったのだ、という研究もある。もしも戦争で多大なカネをかけて取得した地域の戦後復興にかかるカネで国の経済が傾けば、勝った意味はない。「支配し・従わせる」ことによって「増収・増益」があるから戦争の意味がある。
【「完全破壊」は地域支配のための最後の手段】
武力による敵地の破壊は「相手が全く言うことを聞かない・最後の一人まで支配に屈しない場合」に限る。「支配されるくらいなら死んだほうがマシだ」。これが「最後の一人までの抵抗勢力:パルチザン」だ。日本では「死んだら元も子もない」。負けると分ければ従う。そう考える。日本は第二次大戦・太平洋戦争で完全に負けが見えたときに降伏し「鬼畜米英」と言っていたものを180度切り替えた。「生きるために」だ。つまり「パルチザン」の基礎には人間の生死以上のものを認める、という宗教がある。そこにはパルチザンはあったが、日本ではないのはおそらくそのためだろう。この場合は「戦争のコスパ」は無視される。だって宗教なんだから。
と、言うことは、明らかに今回のロシアの「反攻」は「本気だ」ということだ。これまでとは違って、それははるかに恐ろしいことだ。