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「5年」ですべてが変わる

【5年以上前の話は役に立ちません】
韓国で、2013年から2015年にかけて、大学教授をして、韓国で住んだ。とはいうものの、日本には毎月一回は帰るようにしていて、任期の2年が終わったら、日本に戻った。自分的にはいろいろ実りはあった赴任ではあったと思うのだが、とにかく韓国と言う地域の「発展」「経済成長」は目を瞠るものがあった。それをいま感じているのは、私だけではない。かの野口悠紀雄先生も数字でそれを裏付けている。それを肌で感じてきた。noteにもこのことは書いた。10年以上前の韓国という場所は知っていたが、今行くとその「差」に驚くことばかりだ。既に5年以上前の話は役に立たない。それを実感したが、これはベトナムなどでも起きている。日本を除いた周辺のアジアの「発展途上国」と言われた地域の経済発展は目を見張るものがある。そして、私が韓国で生活した時より更に5年以上の月日が既に経っている。また変わっていることだろう。ベトナムが日本を追い抜く時代も近いかも知れない。

【「高度経済成長期」の老人たち】
私の世代は高度経済成長は目の前で起きていた。その最後のときを見て知っていた。高度経済成長の多少の恩恵は受けたが、私より10年ほど年長の人たちほどの恩恵は受けていない。そういう年代だ。成長も没落も目の前で見ているからだろうが、日本の豊かな時代への羨望も嫉妬もない。本当に成長していたときはまだ子供だったのだから。しかし、高度経済成長でいい思いをした真っ只中の世代の人たちは、その時代のことが忘れられない。今でも「あの時をもう一度」と、思っている人が多い。そういう人たちの前で、韓国から帰ってきたときに、韓国の話をする機会があった。そこで「これからお話することは現代の話です。5年以上前の話は全く役に立ちません。昔の話ではなく、これからの話しをしましょう」と宣言しておいたのに、私の話が終わると「私の行ったころの韓国は」みたいな話ばかりだ。既に「過去」は役に立たない。「歳を取るってのはこういうことなんだな」というのを感じた。現代から見れば分不相応とも言える多額の年金をもらいつつ、ソウルでの平均給与が東京のそれを超えた現代を受け入れられない。ああはなりたくないものだな、というため息しか出てこない。それが実感だった。

【高度経済成長期という日本人の宿痾】
結局、日本という地域の数千年の歴史を見ると、戦後の日本という地域の高度経済成長期は例外的に豊かな時代であった、というのが日本という地域の正しい見方であろうと、私は思う。昔は「姥捨て」などの、貧しいがために高齢者の公認の自殺があった地域だって、つい最近まであったのだ。その「例外の時代」を基準にして、それ以前・それ以後の時代を語られても、それは迷惑なだけだ。結局、高度経済成長期で蓄積した日本という地域の富を大幅にすり減らしてしまった。次代に富を持っていき、さらなる地域の成長の種を作る、という知恵がほとんど働いていない、と私には思える。カネはあっても知恵がない。それが多くの高度経済成長期でいい思いをした人たちの現実なのだろう、と思うしかない。結局、成金の持ったカネの多くは自身の贅沢に使い込んで終わった。のみならず、過剰な支払いのツケを次世代にツケていった。そういう思いしか、今は持てない。歴史の勉強を怠った多くの人たちは「高度経済成長期」という「ラッキーな時代」の自覚を持てないまま、死んでいく。そういう人たちにとって「高度経済成長期」は良かった時代かも知れないが、日本という地域に住む後の我々日本人にとっては「高度経済成長期」は「宿痾」となって、多くの日本人のDNAに刻まれただけなのではないか?などと、勝手なことを思っている。多くの人は時代の波に乗っただけで、悪びれもしない。自らを客観的に見る勉強をせず、自分たちで自分たちの歴史を作り変えていこう、という意思はなかったのだ。今となっては、そう思うしかない。

【今は5年ですべてが変わっていく】
いま、日本の高度経済成長期に大きくなった企業のほとんどは外資が入って生き延びている。しかし、それは日本だけではない。韓国のあのサムソン電子でも資本の半分以上が外資である。地域で企業を語るのではなく、グローバルで企業を語らなければ意味が無い時代に、時代が急激に変わった。そして、この世の中では、インターネットなどを通じて、グローバルで物事が短時間で劇的に変わる。5年以上前の情報は既に縄文時代の情報のようなものだ。

「5年以上前の情報はアップデートするか、無視するしかない」。

それが実感だ。

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