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本当の豊かさは懐かしい。でも非効率だから生き残れない。

【新しい商業施設?】
東京のハイソな街として、かつて知られた「自由が丘」。そこに、15階建ての新しい施設が誕生する、という。それが良いことか悪いことかとは別に、街は変わる。

【スタバとユニクロと…】
おそらく、テナントのレストランや商店なども、どこにでもあるものになるだろう。スタバやユニクロや...であれば、どこに行っても同じになる。わざわざ「そこ」に出向く必要はない、と、今から思う。

【どこに行っても同じ】
現代という時代の「貧しさ」とは、おそらくそういったものだ。どこに住んでる、って?。どこでも同じじゃないか、ってね。要するに「地域の喪失」なんだろうな。今や世界のどこの空港も同じような感じになった。それと同じさ。

【生きるためにグローバル化した】
おそらく、経済の効率化なくして生きられない人間社会、人間という存在が行き着いた果てには、サプライチェーンのグローバル化、市場のグローバル化で「地域」という概念の喪失があるんじゃないかな。そういう風景が拡がっていく。「地域ローカル」なものとしては、宗教などもそうだが、宗教の衰退はおそらく「グローバル化」がそうしている。しょうがないことなんだな。それを「発達」と言うんだけどれども。

【エントロピーは低いところから高いところに。そして平衡する】
でこぼこした地域の低いエントロピーが平均化して高くなった状態に向かいつつある。面白さで言えば面白くはないが、全てが平均化して、動きが減る分、使うエネルギーも極限まで節約され、ヒトという種はより長く生き残っていけるはずだ。しかし、面白いかというと、移動して違う文化に触れる楽しみは、おそらくもう世界のどこにもない、という状態にならざるを得ないのだろう。このエントロピーが低い「局所的にエネルギーの高い状態」からエネルギーが放出され、エントロピーの高い「局所にエネルギーが集中しない状態」に移行するときに、全体から見れば部分にエネルギーが放出されるわけだから、そのときは活気があるように見えるんだけど、それは、活気の無い状態に向かっている、ということだな。思えば、人が集まる「都市」というのは、エントロピーで考えれば、衰退する運命にあるものでもあるんだよな。その自然の流れに逆行しても抵抗は無駄、ってことなんだろうね。

【オンラインが加速する】
時代の流れは速い。いまサンフランシスコのギラデリ(Ghirardelli)のチョコレートを、ピアのお店のオンライン店で買い、明日には東京で受け取るのは当たり前の日常だ。どこに行っても同じものが同じように目にできて、同じように手にできるなら、そして価格もそんなに変わらないのであれば、オンラインでいいじゃないか。

【できる前にわかっていれば行く必要はない】
自由が丘がどんな街になるか、もう施設ができる前にわかっていて、行って見たらその通りだった、終わり。みたいな。かつてのウィンドウショッピングのウィンドウはスマホの中のAmazonのアプリに移転した後だ。地球上のどこで見ても同じだ。便利だろ?

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