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自分史 なかなか優秀だったんですよ

22歳で就職できた私は、PBX(電話のシステム)に関わる仕事をすることになりました。以来、25年をその業界で過ごしていたことになります。そんな私の20代から30代前半。

様々なことがありましたが流れとしては、最初に新卒で入社した会社(大阪)で新人として活動中、あまり経験を積んでない中で出向(大阪→東京)に出たり、帰任のタイミングで国内企業から外資系企業へ転職(東京→横浜)したり、子どもが産まれたのを期に国内企業(横浜→東京)に戻ったりとこんな感じでした。

PBXについては経験できて良かったと思っています。電話ってどうして繋がるの?みたいな根本的なことを勉強する機会は楽しかったし、SEとしてシステム構築に携わること、PMとしてプロジェクトを管理することを学び、仕事にできたのはとても幸せなことだったと思います。どうしてかと言うと仕事している実感があったから。

仕事している実感って何でしょう。私の場合はお客様の求める要件に合わせてシステムを作り、それを実際にお客様が運用される、使われるのを目の当たりにするのが実感だったと思います。なので、技術的な要素は何でも良かったと言えますが、最初に触れた技術・システムで愛着があったのかも知れません。まぁ、いまでも愛着というか気になる業界ではあります。

一応、コンタクトセンターアーキテクチャなんてレアな資格を持っていますしね。

仕事している実感と書きましたが、それこそ公私を問わずに関わっていた感じです。会社員として対価をいただき業務を行なっていました。責任と結果を求められますが、それでも仕事は楽しく、誰かの役に立つことが嬉しかったと感じています。

それこそ24時間365日働くことも平気(途中いい感じで休みますよ)な意気込みだったと思います。深夜にトラブルで叩き起こされるなんてよくあったし、スケジュールが厳しく何日も徹夜して仕事していたことも1度や2度ではありません。

その時はもう嫌だと思いながら何度もそんな経験をしていることを考えると本気で嫌だと思うことはなかったのだと思います。

未だに勘違いして、徹夜すれば間に合うかな?とか休みの時間を削ればいいんじゃない?なんて悪い癖として残っていますが、体がもたないので勘違いを正して、正しい生活時間で行動するするようにしています。が、なかなか悪い癖は治らないですね。

そんなわけで20代から30代前半はエンジニアとしての割合が大きかったのですが、仕事はできる方だったと思います。だって他の人よりも時間を使っていたから。公私を分けずに仕事に取り組んでいたから、それなりに成果が出せていました。

だから本当に大切にしなくてはならないものを大切にできなかったし、気がついた時には手遅れなんですね。これはいまでも変わらずなので、いくら反省しても足りないと自覚しています。ですがこれは別の話。

そんな状況に転機が訪れるのは自分で望んで管理職になろうと決断した時だと思います。そろそろどうやってコーチングに巡り合うのか、最初の出会いに触れることになりますが、それは次回。

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