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1年が経ちました

noteを始めて1年が経ちました。おめでとう!

ブログやSNSなど興味がなくなると続けなくなるのですが、意外と続いている。まあ途中(今も)最初の頃ほど投稿をしなくなったし、なんなら文章ではなく写真なんて時の方が多かったりする。

写真もあまり遠出が出来ないので、近所のちょっといつもと違う気になるところなんて日常を撮って投稿している。

書くことも今でもたくさんあるのだけど、どうやら気分が乗っていないらしく、このところ書いていない。

それでも毎週何か投稿するを続けているので、今回投稿すると、おそらく53とか54とか連続だよと教えてくれるはず。

どうしてnoteを続けていられるのかわからない…
(と書いたけど31週目くらいにちゃんと考察している。でもまあ時間もたったし改めて、わからない…から考えてみよう)
いや、習慣化することや何かを続けることに関しては様々なノウハウを持っているし、そんな事をご支援させていただいているプロでもある。

けれども、自分のnoteが続いていることはどう言うことなのだろうか?と1年たって考えてみた。

どうして続いているのだろうか?

毎日なんてことに比べれば大したことはないし、毎月に比べればそれなりに頻度は多い、だがこれはどうでも良いことの様だ。まず頻度は自分の基準で良い感じのペースがあれば良い。自分に合うペースが10日1回ならそれでもいいし、「気が付いたとき」や「思い出したとき」がペースならそれで充分でしょう。

ペースという言葉がいけないのか?投稿したい思いがある間は続けているのだと言えばその通りなのだ。ペースと言うよりタイミングを計っているってことで良いんじゃないかな。

続けていると思い込む!これがポイントのようだ。いつ投稿するかは自分に都合のいいタイミングで!!

他に続けているのはどうしてだろうか?

私は何かを達成した瞬間に大きな喜びを感じにくいらしい。とりあえず終わったとか、良かったねとか。それよりはだらだらとでも続いている方が好み。フルマラソンもゴールしたら嬉しいし、もう走りたくないなんて思うけど(また走るけど)、達成した!よりはもっと行ける!の方が気持ちいい。なのでウルトラマラソンに挑戦したい。

話が逸れたが、達成したいとかゴールはココ!みたいに考えていないのだろう。例えば歯磨きには終わりはない。毎日磨き、磨く腕は上達するが磨かなくて良いわけではない。(そのうち磨かなくていい世の中になるといいのにね)

いわゆる習慣化ではあるが、食事をするように、寝るように考えてみたらどうだろう。たまに忘れる(食事や睡眠もね)くらい問題無いし、すぐに思い出して、取り組むのだ。何かを成し遂げるためではなく、何か自分を表現する場所としてだけ関わっている。そんな感覚だから続いていると思い込んでいるのだろう。

なんでもゴールがあれば良いってもんじゃない。そんな考えもあるよ。

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