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モノがあふれる時代の鉄工所の未来について

はじめまして。

福岡県柳川市の水門メーカー乗富鉄工所の後継ぎムスコ、ノリドミケンゾウです。鉄工所のムスコとして生まれ、工学系の大学院を卒業し、製造業を経験した後、家業に戻ってモノづくりを核とした事業をつくっています。

経歴だけ見れば生まれたときからずっとものづくり一直線の理系男子、というかんじですがまったくそんなことはなく。私自身はどちらかというと本や漫画が好きな文化系で、家業に興味がないどころかものづくりそのものに対しても特別な思い入れはありませんでした。インターネットが発達した現代で製造業なんて古臭い、もう必要なものは揃ってるよ・・・とまあそんな具合です。

そんなモノがあふれる時代に生まれた罰当たりな鉄工所の長男が、流れ流され家業に戻りものづくりの事業を立ち上げるまで、見て、感じて、考えたことを書き起こしてみたくなったのがこのnoteです。

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モノが足りない時代に育まれた家業

戦後間もない1948年、腕利きの鉄工職人の祖父が当時勤めていた鉄工所から独立して立ち上げたのが乗富鉄工所。1969年に法人化し、水門施設の製造・工事や営農施設の保守工事、建設機械製造などインフラ系のものづくり・工事を中心に幅広く事業を展開しています。

戦後、モノが圧倒的に不足していた時代。「腕利きに貧乏なし」を合言葉に時代に求められるように成長を続け、市内でも有数の企業になっていきました。ちなみに乗富鉄工所のロゴは富士山のカタチをしていますが、ノリにノッていた祖父が「日本イチの会社になる」という野望を込めたマークだったりします。「鉄工所」と今聞くと古めかしい響きですが、祖父が現役だった当時、成長産業ど真ん中のイケてるスタートアップだったのです。

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ネット時代の理系少年

時代は流れ1985年。私が生まれる頃には社員数60人を超える、町工場と呼ぶにはいささか大きすぎる会社になっていましたが、私自身は通学路として工場の中を通る以外、ほとんど家業とかかわりをもつことなく育ちました。当時乗富鉄工所はオーダーメイドの水門メーカーとしての地位を確立しつつありましたが、「ガンガンバチバチ騒がしいし、よくわからないものを作っている」と冷めた印象しかもっていませんでした。

ただ、祖父の部屋に図鑑や学習漫画がたくさんあったので、理系方面の知的好奇心は旺盛な子供でした。専らその好奇心は宇宙や未来などSF的な方向に向いていましたが。ちなみに小学校の頃の自由研究は「UFOの偽写真の撮り方」。かわいくない子供・・・

大学では工学部の地球環境工学科を選択しましたが「なんとなくかっこよさげだから」という理由で、特に家業を意識してのことではありませんでした。成績で振り分けられた造船コースで船について学び、モラトリアムで大学院まで行った挙句、リーマンショックで就職難となり、就活戦線から逃げるように教授推薦で関東の造船所に就職しました。

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船があふれる時代の造船所

そうして就職した造船所でしたが、当時造船業界は苦しい時代を迎えていました。戦後から高度経済成長期にかけて世界一の造船大国となっていた日本。元・花形産業として東大・阪大など名門出身の先輩方も珍しくない業界ですが、中国や韓国が国策で大量に造船所を建造したことが慢性的な供給過多の状況を作りだし、「船あまり」が無理な価格競争を引き起こして業界全体が疲弊していました。

ただ、業界が疲弊していることと働いている人が優秀かどうかは無関係ではないものの、完全に同じではなくて。実際私が働いていた造船所では、管理職にもスタッフにも職人さんにも、優秀で魅力的な人がたくさんいました。私は生産管理部門のスタッフとして工場の生産性改善を目的とする部署に配属され、先輩方の薫陶を受けつつ生産管理のイロハを学びました。精神的にも肉体的にもハードな職場でしたが、そこには確かにモノづくりに対する情熱と行動がありました。ふわふわしながら造船所に入った私でしたが、「1分1秒でも無駄をなくして効率的な生産を実現しよう」と知恵と工夫でよいモノづくりを実現しようとする仲間たちに交じり働くうちに製造業の魅力と奥深さを知り、7年間の造船所勤務で生産管理の専門的な知識だけでなく、ビジネスマンとしての基礎的なスキルやマインドセットなどたくさんの得難いものを得ることができました。

ただ、一度固定された業界構造を転換するのは並大抵のことではなく、血の滲むような思いをして改善した10%の生産性が定期的にやってくる価格破壊であっという間に吹き飛ぶのを見て複雑な気持ちになることもありました。

このまま造船所で頑張るか、家業にもどるか

散々悩みましたが、かねてより後継者として入ってほしいと言っていた両親の呼びかけに答える形で家業に入社しました。2017年、春のことでした。自分がいなくなっても造船所はなんとかなるだろうけど家業はそうではないだろう…とか理由はいろいろありますが、単純に九州に戻りたいという気持ちも大きかったような気がします。

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家業で出会った鉄工職人

家業に戻った1年目は、職人さんたちに交じって現場の仕事を手伝っていました。よくよく観察していると、私が親しんできた内業系(※)の造船所の職人さんたちとかなり様子が違いました。

分業が常識の造船所では、仕事をいかに早く正確にこなせるかが優秀な職人の条件であり、職人の作業時間を奪わないシンプルで直感的に分かりやすい手順書をつくることはスタッフの役割でした。それに対して鉄工所では物件ごとにチームを決めて最初から最後まで全員で担当するため、ほぼ全員が複雑な図面を読み取り、ウンウン唸りながら加工手順を自ら考え、自分で現地調査をして、ペース配分も自分で決めています。最初のうちは「なんて無駄が多い職場なんだ」と思っていましたが、1人1人の守備範囲の広さと応用力・発想力には目を見張るものがありました。

極め付けは工場にたくさんある鉄製の作業台・椅子・棚・台車などの工場備品。水門事業の閑散期にあたる夏季を中心に、職人さんたちが自主的に作って使っているんです。図面もなければ材料も購入することなく、シェフが冷蔵庫の余り物で賄いを作るように、いとも簡単に端材で自分たちの仕事がやりやすいように職場を変えていく姿を目にし、「これはすごいことではないのか」と思うようになりました。

そしてなにより、会社や組織に対する不満こそあれ、仕事そのものに対してはみんな楽しそうに自分のペースで伸び伸びと働いていました。休日にDIYをする職人さんが多いのも納得できるくらい、みんなものづくりを楽しんでいることが、「ものづくりは仕事」と捉えていた自分にとって衝撃的でした。

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※造船工程は大きく材料切断~ブロック組立までの「内業」とブロック塗装~建造~艤装までの「外業」に大別される。造船所にもよるが、一般に内業は分業化が進んだ自動車の生産工程に近く、外業は複数の業者が混在する建築現場の生産工程に近い

モノがあふれる時代の鉄工所

モノがあふれれば価格破壊がおこり業界が疲弊する。造船所時代に肌で体感した事実ですが、水門業界でも似たようなが起こりつつありました。

昔は鉄で作っていた水門ですが、ここ数十年は錆びないステンレス製が主流。単価は高いものの一度作ってしまえば40~50年はつくりかえは必要ありません。そうなると当然いつか発注は減ってきます。公共工事のため、船のような価格破壊は起こらないとはいえ、以前は大きな水門しか作らなかった大手が鉄工所がやるような小さな水門の入札にも参加するようになっており、競争は激しくなっています。

水門以外の事業ではもっと深刻で、年々コスト削減要求が厳しくなっていました。分業化をしていない乗富鉄工所の業態ではコスト削減には限界がありますし、パイの奪い合いでは業界全体としてはいつか衰退していく。パイを増やす、新たな価値を生み出すという方向で考えなければなりません。

ならば鉄工職人の応用力・発想力を生かして事業を作れないものか、となったのです。

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鉄工職人/メタルクリエイターがつくる日々をたのしくするプロダクツ

そうして始めたのが、新規事業ノリノリプロジェクト。鉄工職人の技術と発想を生かして有りそうで無かった商品を開発し、自社ブランドとして販売する事業です。ノリドミとノリノリをかけた駄洒落ですが、乗富鉄工所の職人さんが楽しく仕事している姿を重ねてもいます。

この事業については本当に紆余曲折があって長くなるのでいつか別の記事で書きたいと思いますが、鉄工職人の技術と発想を軸に、地域の町工場・デザイナー・大学・行政などさまざまな方とコラボレーションしながらプロダクトという形で世の中に届ける活動を行ってきたことで、最近では多くのメディアで取り上げて頂けるようになってきました。

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鉄工所の、ものづくりの未来

現在、中韓の製造業が急速に力をつけ一部では「日本の製造業はオワコン」なんて囁かれてさえいます。大きな資本を大胆に投入し最先端の設備を導入した結果、実際に品質のレベルは上がっています。

追い打ちをかけるように、「AIが発達して20年もすれば職人なんて仕事はなくなってしまう」なんて言う人もいます。

では20年後、日本の、地方の鉄工所は不要になってしまうのでしょうか?

それは分かりません。

ただ、私が知っている鉄工職人の仕事は、様々な知識・経験に裏打ちされた判断と身体性を伴った非常に高度な仕事であり、これがAIを搭載したロボットに代替される頃には、多くのホワイトカラーの仕事はすでになくなっているでしょう。

なにより、鉄工職人という仕事にはクリエイティブな楽しさがあります。対象が水門であれプロダクトであれ、自ら手を動かし、考え、ときにぶつかりながら、モノを形づくっていく作業はとても人間的です。

何万・何十万個という製品をどこよりも安く生産して世界中に届けることは難しいかもしれない。だけど多少価格は高くても職人が時間をかけて作ったプロダクトを本当に必要としてくれている人のところに届けることはできると、ノリノリプロジェクトの活動を通して分かってきました。

日本の製造業をどうこうすることはできないかもしれないけれど、鉄工職人やプロジェクトに関わる人達が楽しみながら作った製品で、購入してくれた方の生活がちょっとでも楽しいものになれば、それはとても価値あることなんじゃないか・・・とそう思っています。

肩肘張って大げさなタイトルで書いてみたけど、結論は楽しけりゃオッケー!ってことで・・・笑

締め方が分からなくなったのでこの辺で。よかったら鉄工職人が作ったプロダクト、リンクから見てってください。ありがとうございました。

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