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「ラベルをつけたがる女」 と 牛乳

言葉は深い。三島由紀夫が東大全共闘で言った「言葉は言葉を呼んで、翼を持って、この部屋を飛び回ったんです。」印象的な言葉だった。

僕は、言葉を偶像化させ、器用に使わなくてはならないと思っている。つまりは言葉を大切にし、深く理解した上で人間関係を築くということだ。

上記において抽象と具体を使い分けることが重要だと考える。抽象は多くの共通点を抜き出す特徴があり、具体は個々の事象を説明する特徴がある。会話において、抽象的な言葉を乱用したり、考える基礎にするのは大変危険だ。なぜならば、相手を無意識に簡単に説明できる箱に入れてしまうことを通して、理解することを妨げてしまうからだ。

それでは僕が思春期に書いた短編を読んでいただきたい。これは抽象的表現を好む女性の話だ。

「ラベルを付けたがる女」

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自分で言うのも何だが、僕は滅多に人を嫌いになることはない。

なぜなら、どんなに嫌な人でも深く関わることによってその人にしかない輝きを知ることができると信じているからだ。しかしながら僕も人間である。どうしても相容れない人もいる。いわば水と油のようなものだ。

僕はそんな日相溶性な人種にも興味がある。頑張って近づこうとしたこともあった。しかし、それは無理だった。彼らに危険を感じた僕の第6感は鳥肌を立ててメッセージを送ってきたのだ。「このままじゃ、お前も飲まれる」と。本能が反応していた。邪気を放った彼らは、臍の緒のような生命力と繋がりで周りを自分の世界に迷い込ませる。

彼女もそのような人だった。

美しい女性は「ラベルをつけたがる女」だった。特に異性に対してはその傾向が顕著だった。彼女は頭の中に棚があるかのように、男性によって態度を変えた。ある時は嬉しそうに笑い、ある時は蔑んだ目で見下した。彼女が貼るラベルは「経歴」だった。どこの大学を出たか、今どんな仕事をしているか。「あの人は〜大学を出ているのよ」。そんなことを語る彼女はいつも自慢げだった、いかにも自分がその大学を出たかのように。

それにもかかわらず彼女は男女関係に関して、自分自身にラベルを貼るのを頑なに拒んでいた。いろんな男性がアプローチをしても首を縦に振ることはなく、多くの男性は打ちひしがれて彼女の前を去っていった。中には一夜の関係を共にしたのちに深い関係を望んだ者もいただろう。

僕はそんな彼女を一時期は好きになっていた。一緒に映画を見たり、カフェで食事をした。酔っぱらった彼女を介護したこともある。僕は彼女の世界に迷い込んでいた。

直接な物言い、屈託のない笑顔。僕は何も見えていなかった。それが深い森林だとも知らずに。その一途な思いの一方で、彼女が僕に対して「恋愛対象外」というラベルを貼っていたのも知っていた。「興味がない友達」と言いふらし、周りに回って言葉は尾鰭をつけて僕を傷つけた。

そして、しばらくして僕は告白した。

それは、半分は付き合うためであり、半分は関係を立つためだった。

中途半端な関係をやめたかったし、それに少しでも「愛されることの大切さ」を知って欲しかった。利己的と言われればそうなのかもしれない。しかし、その当時に僕にできるのは告白だけだった。

答えは「ごめんなさい」だった。

理由は聞くことができなかった。なぜなら、彼女の口調が気になったからである。

「理由があったほうがいいよね…」

それ以上、僕は聞くことができなかった。

僕は彼女に「ラベルをつけたがる女」というラベルをつけた。

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次の短編は、抽象的な表現で語ることに悩む女性の話だ。

牛乳

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牛乳を飲んでいると、ふと同じ大学の女性を思い出した。

飲みの席で、サークルの彼女は悩みを打ち明けてきた。それは「自分の過去を説明するのに時間がかかってしまい辛い」というものだった。

というのも彼女の両親は韓国人、しかし生まれ育ったのは日本という過去を持っていたからだった。彼女の中では「日本人」か「韓国人」のどちらか一方という考え方は難しく、だからこそ人に説明する時には他の人がかかる時間の何倍もかかるらしい。

真剣な悩みだからこそ、僕の等身大の答えを探した。そして、机の上にある牛乳を近づけた。

多分だけど、これを「牛乳」っていうのは簡単だと思う。でも、違う考え方をすればこれを、机の上にある紙製の入れ物に入った飲み物で、豊潤な香りと滑らかな舌触りが特徴的。って説明することもできると思うんだ。僕も含め、自然と周りのものにラベルをつけることで簡単にものを説明しようとするけど、それって一方で悲しいことだとも思うんだよね。

「〇〇(女性の名前)」の説明は大変かもしれないけど、過去に向き合ってきちんと話しているからカッコいいと思うよ。

酒が入っていたこともあり饒舌になっていた。
あのときの言葉を彼女が納得するものだったかは恥ずかしくて聞けないけれど、少なくともゆっくりうなずく姿を横目で確認できた。
***

具体的に考えることは相手を理解することに繋がる

抽象的な「あだ名」を付けずに、時間をかけて理解することの大切さを説明してきた。しかしながら、出会った人を「出身大学や就職企業」でランク付けするのは至って簡単でやってしまいがちなことである。

誰しもが何かしらの所属に入っているわけであり、個人を見るよりも集団のレベルを見た方が早いことも十分にわかる。

だが、それでも相手を理解しようとする心意気がかけ橋になるのは間違いないのは断言できる。だから、ストレスはかかるかもしれないが、相手を簡単に理解するためにラベルを貼るのではなく、たくさん質問してみるのはいかがだろうか。


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