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noteが続く理由を考えてみた

『毎日note365』42日目。

文章にはその人の色がとても濃く出ていると思っていて、noteを読むときは、文章から書き手がどんな方なのかを想像することも楽しんでいます。

個人的な印象だけど、noteは書き手の「人」が、よく見える気がする。

noteを書くとき、スマホで書く人もパソコンで書く人もいると思うけど(私はパソコン派)、背景だけのシンプルな画面に文章を打ち込んでいくから、自然と自分に向き合うことになる気がしていて、だからこそ、そこから紡ぎ出される文章には、書き手の「人」が滲み出てくるんじゃないかと思ったりしています。

前に、「noteで文章を書くときと、Twitter(当時)で文章を書くときは、意識してないのに全然違う文体になってしまう」という話を書いたことがあるのだけど、noteは人のコアな部分が出やすい場所なんじゃないかなーと、思ったりもしています。


前に書いた話はこちら。(ちなみに、毎日更新にチャレンジして割とすぐに挫折したとき。笑)


毎日note更新は、何度かチャレンジしていて、いつも途中で挫折してました。
今回が一番長く続いているのだけど、驚くほど負荷を感じることなく続けられていて、それも「noteは自分に向き合わざるを得ない場所」と思ったら、なんとなく合点がいく。


今までの毎日noteチャレンジの時は、私だけど、私じゃなかったような気がするんです。

自分以外の何者かになろうとしていたというか、自分を自分で受け入れきれてなかったというか。


人生いろいろ紆余曲折あり、やっと今、私は私を私として受け入れている感覚が持てています。

だから今、noteが続いているような気がする。


この数年、もしかしたら自覚している以上に大きな変化があったのかもしれないと思います。


ではまた明日。

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