見出し画像

料理長

居酒屋でアルバイトをしていたとき。
その居酒屋は結婚式の2次会も開かれる、少しおしゃれなお店で、私はキッチンの調理補助として働いていた。

キッチンの担当は、煮物やだし巻き卵などを作る板場、焼き鳥やスペアリブなどを作る焼き場、から揚げやピザなどを作る揚げ場の3つに分かれていた。私は揚げ場担当。

キッチンには、社員の料理長と料理人の他に、アルバイトが3人、働いていた。アルバイトの内の1人は深夜帯専門だったから、通常は4人で仕事をこなしていた。

その料理長の話。
和食出身の料理長は、板場担当。
注文が落ち着いて、掃除や翌日の仕込みも終わったら、競馬新聞を読み、誰かに話しかけることもない。「堅物」感が漂うような人で、話しかけ辛かった。

仕事を教えてくれたのはアルバイトの先輩だった。先輩は長く勤めていて、料理長と一緒に板場を担当していた。先輩は明るくて、とっつきやすい感じの人だった。

ある日のこと。いつもいる先輩がいない。
「今日は休みかな?」と思っていたら、翌日も、その翌日も先輩は来なかった。先輩はフリーターだったから、そんなに長く休むはずはなかった。何かあったのかと思い、もう一人の社員である、料理人の人に聞いてみた。

先輩はどうやら、料理長と喧嘩をしたらしい。先輩が料理長に怒って、状況が変わらない限り、来ないと言ったそう。何の状況かは分からなかったけど。

先輩が不在のまま、2週間くらいが過ぎていった。
その間も大型の予約は入っていて、ホールの人に手伝ってもらいながら、なんとかこなしていた。

もう、先輩は来ないのかも知れないな。

そう思っていたある日、出勤すると、先輩がいて、にこやかに出迎えてくれた。久しぶりの先輩の出勤に驚き喜んでいたら、先輩の後ろから、堅物の料理長がにこやかに笑っていた。更に驚くことに、料理長が冗談を言った。

料理長は明らかに変わった。

料理長は当時、50歳前後で、先輩は料理長より、20歳は年下だったと思う。50歳前後でキャリアがあったら、自分を曲げることは難しいだろうし、ましてや年下に言われたことなど聞かない人が多数だと思う。でも料理長は違った。

自分より若い人、キャリアの浅い人の意見でも、正しいと思えば、耳を傾ける、驚くほどの柔軟性と真摯に人と向き合う姿勢があった。

こんな人に私はなりたい、そう思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?