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初めまして、コーチのノリです。

今回は、コーチである私の紹介をしたいと思います。

私がなぜコーチをしているのか、どうやってコーチングに出会ったのか、どんな人間でどんな目的を持って生きているのか、僕自身の人生を振り返りながら紹介したいと思います。

名前は、古川 巨久(ふるかわ のりひさ)周りからは『ノリ』と呼ばれています。昭和60年生まれの36歳です。

私の人生の理念をお伝えしたいと思います。人生の目標といってもいいです。

個人理念

人は平等ではない。だからこそ挑戦が生まれる。そこには可能性がある。
自分自身が挑戦をし続け、あり方で、挑戦者たちの限界を突破させ可能性を解放する 。

という理念、目標を持っています。

なぜこの理念かというと、

私の人生は一貫して、自分自身が常に挑戦者であったからです。挑戦に伴いう経験から常に挑戦者の姿勢でいることが自分のやりたい事であるとわかっています。熱い挑戦は伝播すると知っているからこそ私は常に挑戦したいのです。
そして挑戦を生み出す、サポートしたいと思っています。自分自身がやってきたという実体験があるからこそです。何かに向かって挑戦したいと思う人に対しては200%の気持ちで応援します。前に進むことへの恐怖、ここまでだと諦めたくなる気持ちや弱気になる時、私が、必ず、『やれる気』にさせます。自分ならできる、まだまだこんなもんじゃない、よくわからないけど絶対にやり遂げられる。そう思えるようにった時の顔が好きです。全ての人に可能性があると感じる瞬間だと感じるからです。その可能性を封じ込めている気持ちから解放させたいと心から思っています。

なぜコーチをしているのか、コーチングの魅力

私がコーチングに出会のは2020年です。自分の生き方を見直している時期でした。自分がどんな人間なのか、何者なのかを考えていた時のことです。AKIOBLOGのルーティーン動画をたまたまYouTubeで見たことで認知科学コーチングの存在を初めて認知しました。そこから興味を持ち、実際にコーチングを受け、スクールに通い、いつかプロのコーチになりたい!そう思ったのです。

そこからコーチングを提供したいと志て、自己投資を惜しまずやってきました。いくら突っ込んだかわからないくらい自己投資につっこんみました。迷いなく突っ走ってきた感じです。

認知科学コーチングがすごいのは、これまでやってきたことが認知科学的に考えるとクリアに見えてきて、驚いたことは今でも忘れません。シンプルなことですがこれまで体現ことが人に伝えられるという素晴らしい技術に感動しました。

ゴール設定をすれば、現状は大きく変わる!

体現してきた僕だからこそ伝えられる!

多くの人の挑戦を生み出していくことができる!

そんなエフィカシーで溢れています。

これまでの人生を振り返る


私の人生はスポーツなしには語れない人生です。サッカー、野球、ラグビー、ボクシング、柔術など、挑戦し続けてきました。
学校行ったり、部活したり、何事もなく社会に出て、人生を当たり前のように過ごしてきました。
一般的なスポーツバカです。そんな私に人生を考えることがありましたそれをご紹介したいと思います。


私を表すキーワード(人柄)

挑戦、行動、決断、優しさ、強さ、頑固、格闘技、器用

【今の僕】を形成している要素の多くはこれです。


何かに挑戦し行動を起こせば人生は一変します。これまで送ってきた人生が証明してくれています。
しかし挑戦も行動も、それに伴う決断が最も大事です。

幼少期

神奈川県大和市に生まれ、6人家族の末っ子として生まれ、祖父祖母、そして共働きの両親と6つ歳が上の兄がいます。

私の両親は共働きでした。幼少期はほぼ祖父母に育てられ多様なものです。両親の帰りは遅かったですがしっかりと愛情をもって育てていただきました。

当時はとても可愛い子で、悲しいかな、今、現在とは、全く見た目が違うという事実。物静かで泣き虫で、いつまでも、お母さんに甘えていた、そんな幼少期だったみたいです。

共働きでしたが寂しくはなかったです。

祖父母がいつもそばにいてくれて、面倒見ていてくれたからで、そのおかげで自分の人生にとってはとてもいい影響をもらったと思います。

祖父は、めちゃくちゃ怖く、いつも怯えていた思い出がいまでも忘れられません。礼儀作法にはとても厳しい人でした。祖母はとても優しい人でした。活発に行動する人で、歳をとっても一人でどこでも出かける人でした。
もうこの世にはいない祖父母から人生で大切な事、思いやりの心、人への配慮と礼儀を教わりました。

私自身の基礎を作ってくれた祖父母にはとても感謝しています。

小学生

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小学生になり、小1の時まだまだ怖がりで幼稚園で一緒だった同級生の女の子に守ってもらっていた記憶があります。体も弱かった気がします。小児喘息でいつも苦しかった思い出もあります。

小2になって近所の友達に誘われてサッカーをはじめました。それが初めてチームスポーツに触れた時でした、卒業するまで続けました。最初はDFでしたが、高学年の時は、ぽっちゃり体型だったのもありキーパーをしていました。。実はFWがやりたくて攻める方が好きでした。
その時の仲間は今でもいい友達です。
スポーツの素晴らしさを知ることができました。
仲間と共に一つの目標に一生懸命に努力して結果を求めていくそんなことを経験できたことは財産です。

気がつけば体力もつき、体も強くなり喘息は治っていました。気が弱いのも少しは、ましになりました。勝負の世界にいると気も強くなるようです。勝負事も好きになりました負けず嫌いだいとうことに気が付きました。

サッカーが教えてくれたことは小学校で一番のインパクトがあったと思います。小学生時代は、ほとんどサッカー関連の思い出しかないです。

中学時代

突然、野球をはじめます。本当は続けてきたサッカー部に入部するつもりでいました。たまたま友達に誘われて野球部に興味を少し持ちました。そもそもは祖父が巨人ファンで(私の名前はその影響です)夜7時からはテレビで野球を見なくてはけない鉄の掟があり、よく見ていたので、自分ならできるという謎の自信があり、なんとなくやれる気はしていました。

体験入部でと友達と軽い気持ちで野球部に参加しましたときでした。そこでバッティング練習をさせてもらった時に誰よりも大きな打球を打つことができたのです。

その瞬間、野球の快感に魅せられてしまいました。

自分は野球に向いてるかもと思い、そこから私は野球にのめり込みました。当時は少年野球出身者が多く未経験は珍しかったですが、キャッチャー4番でレギュラーを勝ち取りました。
運もあったし、器用だったんだと思います。当時はセンスがあると勘違いしていました。
勉強もそこそこできました。今思えば、器用になんでもできた気がします。器用貧乏です。飛び抜けてすごいわけではない。適応能力があるのか要領よく物事をこなしていたと思います。

なのであまり頑張ったとか、死ぬほど努力したという記憶はありません。

高校時代

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東海大相模に進学しました、甲子園常連校、昔から県下ナンバーワンの野球の名門校です。
野球では呼ばれなかったため自力で進学、野球部に入るために入部届けを提出にいきましたが、最初は何度もやめたほうがいいぞと先生に断られました。何度も頼み込んでテストを受けさせてもらえる事になり合格。入部させてもらう事になります。
やめておいたほうがいいぞと先生に言われた事がすぐに理解できる程のきつさでした。私はここではじめて強烈な劣等感と挫折を味わいます。
上には上がいる。どうやっても埋まらない差がいくつもある。到底同じ年の人間とは思えないようなレベルの高さでした。とにかくショックを感たことを今でも覚えています。平等なんてないだと強く感じた瞬間でした。

1年生の時は、本当に辛かったです。常に絶望し毎日辞めたいと思っていました。本当に地獄のような日々でした。
朝から晩まで永遠と走らされ、水を飲むことも許されず隠れて水を飲み、野球部なのにをやらせてもらうこともできず、練習終了後は先輩パシリをさせられて、学校では全身筋肉痛でまともに階段を降ることもできずそんな生活がいきなり始まり、しばらくすると30人くらいいたはず同期が20人になり、15人になり、最終的にテストで入部したメンバーで引退するまで共に過ごしたメンバーは8人になっていました。熾烈なサバイバルを生き抜きました。今思えばなぜやめなかったのだろうと不思議に思うほどです。

人間は精神的限界が先に訪れ、体力的限界はなかなか訪れず、なかなか死なないという事が、ここで解りましたw。

何事にも動じなくなったのはこの頃からです。そして自分のちっぽけさを知りました。野球はそんなに上手くないこともよくわかりました。
スポーツの厳しさをこの時に嫌という程知り、理不尽さをしり、平等ではないことも、努力が報われるのは、結果が出るまでやり抜い時だけだということ、努力は無駄ではない事も知りました。
私の高校生活は、野球しかしていません、部活のために学校行事に参加した思い出がありません、だから修学旅行行ってません。それだけ野球に捧げてきました。

いい事も悪い事も全てがそこにありました。

本当に何にも変え難い経験をする事ができたと思います。

野球部を引退

全てのプレシャーから解放されなんでも出来る無敵の状態のような不思議な感覚を今でも覚えています。
よくわかりませんが、やっと人間になれた、そんな感じです。
同時に私の中で、自分って本当は何者なんだろうと、疑問に感じるようになったのはこの時期です。

有名野球部出身というだけで、すごいと言ってくれる人達ががたくさんいて、私自身は、なにも成し遂げていないのに自分が何もかも成し遂げた人のような気持ちになる事がありました。優越感みたいなもの?とんでもない勘違い野郎です。とても恥ずかしい。

有名野球部の名前で楽をする事を覚える事になります。どこでも褒めてもらえることに気がつく。でもその後に気づいていきます。自分の実力でなく学校の名前に力があることに。

気がついた時悲しくなったことを今でも覚えています。自分自身に影響力を持てたらいいのにとコンプレックスに感じるようになりました。

学校で禁止だったバイトを始めます。カプリチョーザというイタリア料理店です。大学卒業するまで続けることになります。

高校生の時、自分に価値を見出したい、人に認めてもらいたい、早く大人になりたい、と思っていたことを鮮明に記憶しています。
そこで思ったことが自分で稼いだお金で好きなことをしてみたかったということ。誰にも文句を言われずに自由に行動してみたい!!そう思っていました。

ここで大きな出会いがあります。それはボクシングとの出会いです。

子供の時からテレビで観てボクシングは好きでした。小学生の時からはじめの一歩という漫画が好きで集めていましたし、影響を受けていました。
自分で稼いだお金で始めるのはボクシングだと、迷うことなく決めていました。私は自分自身に価値や影響力をつけたかったんだと思います。あいつは凄いと言われたい、カッコイイと言われたい、一目置かれる存在になりたかった。という承認欲求から始めました。その後、純粋にボクシングの魅力で続けることになります。
ジムに通うのは親は反対しました。それはそうです自分の子供が殴られるのはどこの親も嫌だと思うし実際リスクもある。でも自分で稼いだお金で自由が欲しかったのです。
説得してジムに通いはじめた。初めて自分で稼いだお金で自分が探してきたジムに1人で門を叩いて入門しました。はじめて自分自身で行動し現実を作った瞬間でした。大人になれた気がしました。ボクシングは大学2年生までジムで続けました。その後ずっと続けることになります。

大学時代

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東海大学に進学、工学部土木工学科に通うことになった。
野球しかしてきませんでしたし受験なんて間に合わない、進学するのに一貫校でよかったと今でも親に感謝してます。
そこそこ成績も良く学部はほぼ選べました。できれば体育学部行きたかったですが、そこだけは行けないとのことであきらめました。それならと思い、理系にしたのは自分の今までやったことのないことに挑戦してみようと一大決心をして工学部を選びました。向いてなかったので少しだけ後悔しています。
今までで一番勉強した4年間だったと思います。

大変だった。。。心から大変だったなと思います。

バイトをしながらボクシングをし、大学に通いという日々をすごしていた。

しかしボクシングを一時離れることなります。怪我したり、他にもやってみたい事もできて、バイトと遊びを繰り返す毎日、僕が親なら勉強しろと激怒しそうです。

2年生も終盤の時、何かしなくちゃとやばい!と、訳も分からず、ずっと焦っていました。

ラグビーに挑戦したり、キックボクシングに挑戦したり、いろんな事を体験してみて、何かしなきゃと考えていた時、ふとバイクが欲しくなりました。

バイトで貯めたお金で免許を取りバイクを購入します。当時流行っていたビックスクーターを購入しました。ここで行動範囲が広がり自由が自分の身に降ってくるような感覚になった事を覚えています。

日本一周
私は親友を誘い2人で日本一周の旅に出た。親友は免許がなかったので二人乗りでの旅でした。とてつもなくワクワクした事を覚えています。

お金がなかったので弾丸ツアーな旅で、計画性もなく、ただただ国道をひたすら南下する、そんな旅でした。いろんな物を自分たちの足で観に行き、感じることができました。世界観が広がった、そんな気分でした。
九州では祖父母の故郷を訪ね、親戚にも会うことができました。とても良くしていただきました。人の温かさを感じ本当に嬉しかった。

お金がないので鹿児島から沖縄には行かずに折り返すことにして東北を目指すも宮崎県の日南というところででバイクが壊れて途中でフェリーに乗り初めての船旅も経験します。悔しかったですが、なんとか神奈川まで戻って来ることができました。
次の年にリベンジを約束します。そしてまた親友と翌年に北半分を制覇する旅に出ます。その時は親友もバイクを購入し2人旅を満喫各地を巡り楽しむことができました。しかし、またもやバイクが故障。。。荷物も燃えたり。。。大金を失ったり。
札幌でバイクを修理に出し。今度は親友のバイクで結局二人乗り旅となった。とてもいい思い出である。
お金が底をついたことで親友と喧嘩したりw なんとか日本の北側半分を回って旅を終えました。

本当にすごかった。今まで見たことのないものを見たり、テレビで見ていたものを自分の目で見て肌で感じることができました。貴重な経験だったと、思います。

多くを学びました。人間の温かさがすごかった。自然は怖い。計画性とお金の大切さを嫌という程学びました。

そしてバイクの点検は大事です。

親友との2人旅については内容がありすぎて語りつくせないので別の機会にお話できればと思います。
僕の親友は、中学、高校、大学と同じ学校で学生生活を共にすごしてきた、紛れもなく真の友です。
彼に何かあれば私財を投げ売ってでも助けるだろうと思います。

大学時代は旅のためにバイトをしまくったので料理のスキルも身につけました。生活する中で使えるスキルです。包丁さばきはは今でも役に立つ事があります。当初はそんなつもりはなっかったけど、4年同じバイトを続けると今まで見えなかった景色も見えてくることを知りました。

会社員時代

世の中は、リーマンショックで大不況絶頂の中で私の社会人生活は始まった。新卒でトヨタのディーラーに営業職で就職しました。そこから10年務めることになります。

大学の学部からすれば営業なんて考えられない職種でしたが、自分自身の性格上、エンジニアというよりは直接人に関わって人の役に立ちたいとおもって営業職を選びました。そして旅を通じて人間の暖かさをしていたのが理由で、一番熱心に就職活動中にお誘いを受けた担当者の萩原さんに出会い人の温かみでこの会社に決めたのです。

入社してからは思わぬことが役に立つなと感じました。野球部であらゆる理不尽を経験してきせいなのか、上司や先輩との付き合い方、しごきみたいなものは簡単で楽に感じました。精神的なアドバンテージがめちゃくちゃあったように思います。ありがたい話です。乗り越えてきたあの時間は、こんなところにも役に立つのかと驚きました。
強豪野球出身というだけで色々と楽に物事が進んだ経験もしました。人は肩書きにものすごく左右される生き物だなとつくづく感じる事になります。トヨタの看板の大きさも感じました。同時に高校の時に感じていた自分という人間に価値を感じてもらえていない実感もさらに強くなりました。

結果を残して認めてもらいたいと思っていました。しかしそんなに簡単ではなかったです。社会は厳しく、すぐにいい結果はでなかった。
成績は最初から、まあまあでした。器用さを発揮ししてある程度はこなせましたが。飛び抜けていいところもなく時だけが過ぎていく。器用に物事をこなしていました。

当時を振り返ると、もしかしたらこのままここで人生の時間を費やして終わるのだろうかと、ふと虚しくなっていました。ただ時間をお金に変える日々を送っていた気がします。

ある日気がつくと自分の体型の変化に気がつきます。それまで気にしていいなかったのですがめちゃくちゃ太ってしまっていました。社会人9年目に入社時76kgだった体重の私は100kgの巨漢になっていたのです。私の中の時間は止まっていました、体重だけは増え続け、なにか自分を諦めていたような気がしています。見た目と数字のインパクトで人生の時計の針が動き出しました。本当にショックでした。仕事もダメ、そして人間としてもダメになったらシャレにならん!!と焦りました。
ようやく自分を変えようと決断し行動に移す事になります。大学2年までやっていた本格的にボクシングを再開させます。ずっとジムに籍を置いてたまに行っていたのですが自宅近くのジムに移籍するころにしました。最初はとりあえず5キロ痩せようかなー、そんな計画でした。

体が動くようになるまでは、少し時間を要しましたが、体は忘れていないものです。地獄の高校時代を思い出せば練習自体は問題なくこなせました。周りから見たら尋常じゃなく動けるデブだったと思います。食事も見直し、規則正しい生活をし、ジムワークを続けると難なく5キロ痩せていました。たった2週間ぐらいのことでした。気がつくとめちゃくちゃ楽しくなっていました。挑戦することの楽しさを思い出してきていました。
みるみる体重も落ち自分の立てた目標がバンバン達成されていきます。めちゃくちゃ気持ちがいいです。この成功体験が今でも忘れられません。

そんな時、試合に出てみたいと思うようになりました。

『せっかくだから社会人の日本一でも目指してみよう!』

ここからです。この”挑戦”を”決断”したことで物凄い勢いで変化が起こりました。

試合に勝つため、優勝するためにと、目標を定めたことで、練習する時間がほしすぎて、なんとかして時間を作りたいと思うようになります。結果的に勝手に効率よく動き時間が作れるようになりめちゃくちゃ働くようになりました。そんな考え方や行動が変わってから、とてつもなく仕事にもいい影響がありました。
見た目もスマートになりビジュアルがよくなりました。これは営業成績をあげるのに効果的でした。自分に自信がみなぎっていくのを感じました。
何より物理的に負けないというメンタル的アドバンテージも凄かったです。目の前に対峙した人に対して余裕が生まれたのです。

時間を作るために効率よく動くようになり営業成績は爆上がりしました。

好きな事に集中することで自分自身の強みを活かす事も覚えます。
人の役に立ちたい思いが強かったので純粋に役に立てる自動車保険を極めました。保険で優秀セールスマンを目指す目標を定めます。
取り組んで翌年には営業所でトップクラスの成績を出し社内表彰に選ばれるまでになりました。(その年に表彰式に出ることなくやめる事になる)

この頃から目標をかなり先に置くと早く事態が動き出すことに気がついています。

人の役に立つために、営業マンとしての自分の立ち位置はどうなのか確認したくなり転職活動を開始します。自分を必要としてくれる。看板ではなく自分を認めて欲しい気持ちが溢れてきました。

自分を売る仕事はなんだろう、値段ではなく売る商品はなんだろう、そう考えてヘットハンティングしてくれた生命保険の会社に転職をきめました。その後その会社も2年間勤めて退職します。

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ボクシングでは全国社会人ボクシング選手権大会に出場し3位になることができました。2021年まで神奈川県代表選手として全国大会に選出していただくことができました。2021年度は国体の神奈川県ボクシングミドル級代表にも選んでいただけました。

本気になれば誰でも何者にでもなれるものです。やるかやらないかだけです。たかだか1〜2年ほどのことなんです。こんなに短い期間で別人のような変化を作れる。現実が変わることを私は知っています。

今では認知科学コーチングでそれは再現性のあるものだとわかりました

『それを私は伝えたい』

そう強く思うようになりそんな気持ちで行動していると声がかかりました。「トレーナーやってみない?」ジムのトレーナーに言われた時とても嬉しかった事を覚えています。

今ではボクシングトレーナーとしても活動をしています。

人が課題を解決し成長していく姿を見ることがとても好きです。喜んでもらえることがとても好きです。自分が体験してきたこと、伝えてきっかけを掴んでもらいたいです。『いつからでも挑戦することを諦めないでほしい』
現実を変えていくそんなパワーが人間そのものにまります。”私はそう信じています”なぜなら私でも変われたから。その事実が私をそう信じさせるのです。

けっして私が特別だったのではありません。全ての人に可能性があると心から思います。

最近の自分


冒頭でも記しましたがコーチングを経験し自分が変わる実感して、学びを深めたい!プロとして活動したい!とコーチングを実際に自分でも受けることにしました。そのコーチングの結果、以下の行動して、チャンスを掴むことができました。

自分で企画したコーチングセミナーを開講しその後法人様とのコーチング契約を結ぶ、ボクシングトレーナーもフリーランスになりパーソナルトレーニングサービスを開始、同時にBEYOURというファイティングウェルネス会社の立ち上げをしています。

ただのフリーの人間が会社の代表にまでなることができました。まだまだ始めたばかりですが、これからも加速して実績を積んでいきます。

更なる進化成長のために新しい学びを取り入れました。

mindset coaching school 第4期

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コーチの紹介でmindset coaching school 4期生として入学しました。きっかけを下さったGOAL-Bコーチの古川誠さんには本当に感謝しかないです。

自分自身に向き合い、コーチングに向き合い、クライアントに向き合う。
プロとして生きるために真剣に向き合う場所でした。

最高の環境を使いきり、全力でやり切る。

2021年4月ですが私の人生は半年後の2021年10月までに大きく変貌していいました。それぐらいのパワーのあるスクールです。興味のある方は是非mindsetの門を叩くことをお勧めします。

mindset coaching school卒業
先日卒業をしました。最終課題も合格しサーティフィケイションをいただく事ができました。なかなか課題をクリアしていくことが大変でしたが、やり切る決意は揺らぐことはなく、胸を張ったプロとして活動できることを嬉しく思っています。ゴールの世界では卒業することは単なる通過点なので、コーチの在り方としてこれからも挑戦し続け、クライアントを導けるように自分だけの特別な人生を歩んでいきます。

MPCG(Mindset Professional Coach Group)
現在はMPCG(Mindset Professional Coach Group)に加入しています。総勢100名以上のプロのコーチ集団の中で切磋琢磨する環境がととのっているのでとても有意義です。コーチとしてだけでなく人として魅力溢れる人たちばかりです。すばらしい仲間がもっと増えてくれることを願っています。

柔術家をめざして yawara harajyuku

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柔術を最近始めました。柔術家になるべく稽古をしています。私の人生は常に挑戦者です。目標を設定した瞬間から力が生まれます。 まず青帯をとって柔術家となれるように頑張っています。

 その場として、yawaraでお世話になっています。信じられないほど素晴らしい環境で稽古することで成長のスピードも早い気がします。何も言わず一度見学に行くことをお勧めします。経営者はもちろんのことアスリートやアーティストもあの場で柔術をすることでインパクトのある経験になるはずです。

なぜなら『格闘技の道場として異次元空間』だからです。

そんな場所に出会えたことも挑戦し続けてきたからこそだと思います。


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