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主夫が提言するこれからの父親支援 〜『イクメン』世代のジェンダー観と男性問題〜 1

1 なぜ私がこれを書くのか


 男女共同参画センターから上記テーマ(『イクメン』世代のジェンダー観と男性問題)の原稿の依頼をいただいて書くに当たり、まず私の立場を明確にしておきたい。なぜなら男性問題にかかわらず全ての社会問題は、その人の置かれている立場によって捉え方が変わるから。私にこの原稿を書く資格があるとすれば、それは私の社会の少数派としての体験からだ。私がこの原稿を書くことにつながる最初のきっかけは主夫になったことだった。
平成8年(1996年)に京都市にある映画の専門学校を卒業し、テレビ制作プロダクションでテレビの報道に関わった。職種はカメラマンとビデオエンジニアだ。平成10年(1998年)の和歌山毒物カレー事件や、平成11年(1999年)の野村克也氏阪神タイガース監督就任で現場に張り付き密着取材をした。競艇の中継で全国の競艇場を周り、月の半分は出張という時期もあった。
 平成14年(2002年)に看護師の妻と結婚し、平成15年(2003年)に長女を授かる。2274グラムと小さく生まれた長女を見た瞬間に、この子を置いて月の半分も出張に行きたくないと思った。この子を育てたい。恐る恐る妻に相談した。仕事を辞めて子育てに専念してもいいかと。妻は快諾してくれた。それどころか前向きに喜んでくれた。やりがいのある看護師の仕事で安心してキャリアを積めるからと。こうして主夫の家庭が誕生した。
可愛い赤ちゃんとずっと一緒に居られる。ウキウキして突入した主夫生活、楽しかったのは最初の2週間だけだった。すぐにしんどくなった。昼間話せる大人がいない。社会に自分の居場所がない。生後6か月の赤ちゃんは暴君のように泣いて私に気を休める暇を与えない。5か月で専業主夫生活をギブアップし、長女を保育園にあずけてアルバイトに出た。
 家事育児とアルバイトをしながら保育士資格を取った。なんとなく、次の仕事は子育て関係だと思っていた。市の機関紙で知り登録しに行ったファミリー・サポート・センターの職員さんにここで働きませんかと誘っていただき、子育てアドバイザーになった。この間に次女が誕生した。平成20年(2008年)にテレビでNPO法人ファザーリング・ジャパンが主催した『子育てパパ力検定』の存在を知り、受検したら成績が良く『スーパーパパ』の称号を得た。その後ファザーリング・ジャパンに入会し、支部として任意団体のファザーリング・ジャパン関西を立ち上げた。
 ファザーリング・ジャパン関西を立ち上げた平成22年(2010年)は『イクメン』が世間に認知された年でもあった。新語・流行語大賞のベスト10に入り、イクメンタレントもたくさん活躍し始めた。6歳と2歳の子供を持ち、主夫として家事育児を主に担当していた私はのちに『元祖イクメン世代』に分類されることになる。
 平成25年(2013年)に任意団体から法人化したNPO法人ファザーリング・ジャパン関西の最初の理事長になり、関西を中心に様々な父親支援活動をした。小規模保育園の園長と中規模保育園の副園長として保育園の管理職を2年間勤めた。現在はそれらから独立し、マジックパパという屋号で子育て講座や親子遊びイベントの講師として全国で活動している。
 男性と女性、両方の社会的立場を男性のまま往復しながら生活したり、社会で活動したりしてきた。その視点から『イクメン』個人としての歴史、父親支援の活動者としての実感、そして男女共同参画の未来への提言を書こうと思う。

2019年度 吹田市立男女共同参画センター調査研究報告
男性問題から見る男女共同参画〜ジェンダー平等の実現と暴力・DVの根絶に向けて〜
に寄稿した記事の再録です。

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