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ノムさんに助けられたカメラマン

2020年2月11日の夕食後、テレビを見ながらチョコケーキを食べながら娘たちに話した。娘たちが興味ない人物とパパの、こんな昔のささやかな思い出話を伝えられるのはこのタイミングしかなかった。  

22年前、カメラアシスタントからカメラマンに昇進した。テレビの報道カメラマンだ。最初の大仕事は和歌山毒カレー事件。その翌年、野村克也が阪神タイガースの監督に就任した年には、高知県の安芸で行われていた春季キャンプに放り込まれた。
和歌山毒カレー事件の取材は簡単だった。容疑者の家の前にひたすら張り付いて「その瞬間」を逃さないように撮るだけ。だから新人でもできる。だけれどもプロ野球キャンプの取材は全く違う。キャンプ地は広大だし野球知識は必要だし独特の取材のお作法もあるとても難しいものだ。そんなところに右も左もわからずにいきなり放り込まれた新人カメラマンが僕だった。  

1999年の安芸キャンプはもう大騒ぎ。ノムさんが阪神に!はお祭りだった。関西以外の方は信じられないかもしれないけれど在阪各局は競って特番を制作し、テレビ大阪に至ってはレギュラーの新番組『とら番』を立ち上げた。僕はその『とら番』のカメラマンだった。
ノムさんが監督就任の初日は記者、カメラマン、見物客500人で揉みくちゃ状態。あの和歌山のホースで水をかけられた現場が天国に感じるくらい混乱していた。そんな中、ノムさんを乗せたバスがキャンプ地についた。何の偶然か、バスのドアが僕の正面で停まった。新人カメラマンの僕は取材カメラ陣の最前列、ノムさんが降りてくるドアの正面にいた。  

僕は夢中でカメラを回した。バスから降りてきたノムさんがカメラのフレームに入った。空中に向けて何か「むにゃむにゃ」とぼやくのがファインダー越しに見えた。そしてノムさんは前に歩き出した。ノムさんの前には僕がいる。僕はカメラを構えながら後ずさりした。ノムさんを取り巻く500人はノムさんの歩きと一緒に移動しはじめた。
何メートルくらいあとずさっただろうか。それまで無言だったノムさんが突然「おい、あぶないぞ」と言った。今度は空中にではない。僕に言ってる。(へ?)わけのわからない僕にノムさんはさらに「ストップ!」と言った。そしてノムさんは立ち止まった。同時に僕も500人の集団も立ち止まった。  

ノムさんが僕の足元を見ていた。僕も自分の足元を見下ろした。自分のかかとのすぐ後ろに溝があった。
通常、カメラマンの後ろにはカメラアシスタントがついて、カメラマンがコケないように補佐する。だけれどもキャンプの揉みくちゃの中で、アシスタントは僕から引き離されていた。それでも、プロのカメラマンならカメラのファインダーと自分の進行方向の両方を同時に確認しながら撮影できる。僕よりも後ろにいたカメラマンは後ろ向きでもちゃんと気づいて跨いでいた。プロはすごいのだ。
でも新人カメラマンでおまけに揉みくちゃに放り込まれて、さらに何の偶然かノムさんの正面に陣取ってしまった僕は、緊張して自分の足元を見る余裕を失っていた。ノムさんに声をかけてもらわなければ、僕は溝に足を取られて後頭部から転倒していた。僕はノムさんに助けられた。  

いち新人カメラマンの21年前の思い出。妻には結婚前に話したことがある。娘たちは「へー」とそれなりに聞いてくれた。ちなみにチョコケーキはパパ用ではなく友チョコの余りです。  

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