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過ぎたるは及ばざるが如し3

雲の多い朝焼けです
どんどんと夜明けが遅くなり
明け方、少し寒いとかんじるようになりました

きょうはまた長崎の方では大雨とか
被害がないように願うばかりです
こちらは雨はぽつぽつですが
たいへん蒸し暑い日になっております

さて今日は叔母と猫の話をいたします

こちらのエッセイにも書きましたように
父は6人兄弟の長男で
父 叔母 叔父 叔母 叔母 叔母
父は大正14生まれで
1番下の叔母は昭和21年生まれです
兄妹とはいえ21歳も離れておりました

みなさんは、ご存じないと思いますが
昭和20年8月6日
アメリカのB29は
まず午前7時今治に焼夷弾を落とし
軍事工場のあたりを焼き尽くしたあと
広島に原子爆弾を落としたのです

外地(中国の青島)から引き揚げてきた父の家族は
家が住める状態にないことに驚き
水田の一角に小屋のような家を建てたのです

不運なことは続くもので
昭和21年の2月に
21歳を頭とする6人の子と祖母を残し
祖父は脳出血で帰らぬ人となりました

それでも戦後10年のうちに
一番上の叔母は県職員の方と結婚し
叔父は商売をしている家に婿養子に入りました
次の妹も教師の家に嫁ぎました

その後
父はようやく33歳で母と結婚し
わずか2年で私たち2人の娘が産まれます

今でいう3DKの家に
祖母と下2人の叔母、それに私たち家族4人
合わせて7人が住むことになりました

1番下の叔母は
戦後の教育を受け
大学にも行き、仕事もしておりましたから
家のごたごたに口を挟むことは一切ありませんでした

問題は下から2番目の叔母なのです
わたしが7歳の時
29歳で大きな農家に嫁ぎましたが
3年待っても子供ができないという理由で
返されてしまったのです
それが当たり前の時代だったようです
どちらが原因で子供ができなのかも分からぬのに・・・

この叔母も離婚してから
スーパーで働いておりましたが
休みが平日ということもあり、暇なふたりの叔母を呼び寄せては
祖母と4人で他人の悪口ばかり話して笑っておりました

そしてことあるごとに以前にも申しましたように
母の前に立ちふさがり言いたい放題だったのです

家を建て替えた時は
家長なのだから叔母の家も建てろ!と3人で詰め寄ります
小屋のような家を壊し
その跡に叔母の小さい家も建てました

その後のことは
昨日書きました

余りに責められた父は家を建てたあと
その家に10も住まず心筋梗塞でなくなりました
その時の父の相続税で三枚あった田はすべてなくなり
30近い位牌だけ残りました
母に
「どうせ、国にとられるんやったら、売って叔母さんらに
分けてあげとったら、良かったのに」
と言いますと
ひどく怒った顔をして
「あんたのために、守ってきたんじゃないの。あの人らにあげるくらいなら
国に使ってもらった方がええ」
そう、いつも母はわたしのためと言いますが、
自分の意地ののためではないのかと思いました

そうです猫の話でしたね
その叔母がスーパーを辞めた時
すでに祖母も死んでおり 兄も失い
ひとりではさみしいと
犬と猫を飼い始めました
口を開けば
わたしの家族はこの子たちだけだを連発しておりました

その叔母は母より8歳も若いのに
脳出血で半身まひになり
施設に行きました

そしてなんと12歳の犬と10歳の猫を
母が預かったのです
「あんなに嫌いな叔母さんのペットをどうして預かるん?」
「あんたは分からんやろうけど、みんなわたしが羨ましかったよ」
分かっていたのです、この人は何もかも
「どこの子も名前も知らん大学しかいけんのに
うちの子は誰が来ても知っとる大学に行けた
それに他の家の子はみな県外におるのに、
うちはあんたが近くにおってくれる。わたしは幸せよ」
結局自分の人生は何だったのだろうと力が抜ける思いでした

犬はエンジェルといい、2年後に糖尿病による腎不全のため
14歳で亡くなりました。一年間インシュリンを打ちに
わたしが病院に通いました。
パートも辞めました。

叔母が亡くなって少し経ったころ
母も骨折で立てなくなり施設に行くことになり
16歳になった猫のみーちゃんをわたしが預かることにしました

仕方がないと思ったのです
家に連れて帰ると
夫がはじめて怒りました
それでも、わたしは少しのことやから
もう16歳過ぎてるしと
必死でたのみました

主人が次々変わり
年老いたみーちゃんは
よほど不安だったのでしょう

どこの行くにもわたしの後をついて歩きます
寝るときは必ずわたしのスカートをハンモック代わりに寝ました
わたしはこの時初めてひとりで年老いて行く
叔母にとって
本当にこの子は家族だったんだ

そして父を亡くした母にとっても
かもしたら家族だったのかもしれないと思いました

3年ほどでみーちゃんは生きて
わたしの腕の中で息を引き取りました
それを待っていたかのように
母も亡くなりました

家族の形は
それぞれです
それは生きて行く中で
変わってゆくものなのかもしれませんね




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