どうして御言葉を読むと励まされるのか。

みなさん、こんにちは。noriです。
僕は去年の春に神学校を卒業した23歳。
卒業した神学校はキリスト教系の学校で、僕はクリスチャンです。

このnoteを書き始めようと思ったきっかけは「聖書って面白いな〜」って思ったからです。聖書が面白いってことに気づけることって超嬉しいことだと思うんですよね。

教会の説教には御言葉の正しい引用と聖書的知識が必要になると考えています。
つまり、このような投稿することには相応のリスクと危険があると思っています。なので是非読んでいただく際にはしっかりと祈り、見極め、吟味することをおすすめします。
特に自らの利益や名誉のためではなく、心からみなさんの励ましを祈り、主の愛に基づいて発信できればなと思っています。

初めてのノートの投稿のタイトルを「どうして御言葉を読むと励まされるのか。」にしました。その理由は御言葉を通して励まされたことがある人、ない人全ての人に対して言えることが「御言葉は励まされる」ということだからです。
「御言葉」をみなさんが目にしたり、耳にしたりするのは礼拝の中で牧師先生方が取り次いでくださる説教だったり、日々のデボーションなど様々だと思います。
もちろん気分やタイミングによっては御言葉を受け入れられないこともあると思いますがきっと御言葉の中にある愛に励まされたことがあると思います。

教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを戒めたりすることができるようになるためです。
テトスへの手紙 1:9

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

この御言葉にあるように「健全な教え」は励ましになります。この「健全な教え」は教えにかなった信頼すべき御言葉が大切なこともこの箇所から見ることができますね。ならば御言葉を蓄え、その御言葉によって人を励ますことができると言えると考えられますね。
でもただ御言葉を暗記し、何かあった時に励まそうと思ってもそれが「健全な教え」かどうかで相手が励まされるかどうか変わりそうですね。

僕はこのnoteを通して聖書のゆるい解釈や御言葉を通してメッセージを投稿したいと思います。自分自身が発信するものが「健全な教え」と断言するつもりもなく、自分自身ももっと吸収したいと思っているのでそのきっかけになればと思っています。


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