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「二つの部屋」の光と音楽

写真家江口敬さんの写真展については先に投稿しましたが、ひとつ心残りがありました。それは、展示室で流れていたBGMについて触れられなかったこと。

そんな折の、江口さんのつぶやき

これを見て、ついうっかり、書いてみようかな?なんて思ってしまったのです。

わたしは音楽が好きですが、それについて書く素養があるかといえばそんなことはなく、作曲法を学んだことも、楽曲について分析できるほどの知識も持ち合わせていません。できるのは、「ただ感じたことを書く」それだけです。


さて、では肝心の音楽について。
江口さんの告知によると、会場のBGMは、福島市出身・在住の音楽家、齋藤浩二さんが制作されたそうです。

それはいったいどんな音楽だったのか?
結論から言います。


あまりに会場に溶け込んでいて、記憶に残りにくい音楽


そう感じました。
展示室では、たしかに心地よく音楽に浸っていたはずなのに、会場を離れたら最後、どんなBGMだったのかすぐに思い出せなかったんです。静かな場所で記憶を手繰り寄せようと努めてみても、ぼんやりとしたイメージしか浮かばなかったことに自分でも驚きました。

でも、そもそもそれ(記憶に残りすぎないこと)を意識して作られた曲なのかもしれません。ピアノの音をメインに、決して主張しすぎることなく作品に寄りそう音楽は、「間と余韻」を大切にした温かさを感じるものでした。


BGMが使われていたのは、サブテーマ「What is beautiful?」の展示室2。ただひとつの窓から入る光を頼りにした、暗い部屋です。

誤解を恐れずに言えば、この展示室を一見したとき、どことなくひんやりした印象を受けました。それが単に暗いからなのか、ガラス製のペーパーウェイトのせいなのかはわかりません。


そこにほんわりと温かさを添えていたのが、齋藤浩二さんの音楽です。

展示された作品が織りなす世界観を邪魔することなく、むしろ観賞する者をすーっと引き込むような音のつながり。わたしは、ある一定の空間でふわふわと漂うような心地になりました。まるでクラゲのように。

けれど、そこは安心感に包まれています。
BGM「20240325 Loop」は、中音域を主にいくつかの音を重ねてできたフレーズが繰り返し再生されているように聴こえました。1オクターブのなかをゆっくりと移動するピアノの音。

それは、どこへゆくのかわからず無限に広がる音楽ではなく、ふわふわしていても必ず戻ってくる心地よい音楽。すこし大げさな言い方をすれば、宇宙に抱かれているような感覚です。

音楽の海を揺蕩いながら、木目の床に展示された作品と向き合います。あちらの作品こちらの作品を見ているうちに、やがてそれらは仏教の曼荼羅のように思えてきました。


そういえば、このBGMはどこから流れてきているんだろう?


暗がりのなか、スピーカーを探してきょろきょろ。
見つけました。この部屋で唯一の明かりの源、曼荼羅の真上に位置する窓際の床に置かれていました。

音楽は、あたかも窓から入る光の一部のように部屋へゆきわたり、会場を包んでいます。そこは完全なる調和の世界です。

ここではじめて、展示室1にBGMがない理由に思い至りました。あちらには、すでに十分すぎる明るさがあるから。うん、きっとそうだ。


写真展において音楽はあくまで「BGM」だけれど、この音楽なくしてこの世界観は成り立たなかっただろうと、まったくの素人ながら感じたのでした。

写真家はなぜこの曲を選んだのか?
音楽家はなにをイメージしながらこの曲を作ったのか?

とても興味があります。


以上が「二つの部屋」で流れていた音楽について感じたことです。ここまで書いて、とてもすっきりしました!書くきっかけをくださった江口さんに感謝です。

ありがとうございました☺




会場で流れていたBGMのうち一曲はこちら
齋藤浩二さんのYouTubeより「20240325 Loop」


ぜひ、会場の様子を伝える江口さんの記事と併せて体験してみてください。




お気持ちありがとうございます。大切に使わせていただきます。