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『いのちの停車場』が問いかけている、生命の尊厳

最近話題となっている本に『いのちの停車場(著者・南 杏子)』があります。

この小説は、東京の救命救急センターで働いていた、六十二歳の医師・咲和子は、故郷の金沢に戻り「まほろば診療所」で訪問診療医になり、命と向き合うという話の作品です。

老老介護、四肢麻痺のIT社長、小児癌の少女など、さまざまな患者と向き合う中で、元医師の父親が脳梗塞になり、病の苦しみから、積極的な安楽死を望みます。
そんな中、医師として、また、娘として、様々な葛藤を描かれています。

大きな問いかけをしているこの作品をきっかけとして、苦しくともなぜ生きるのか、延命することに意味があるのだろうかと、改めて考える人が増えています。

これを考えることは、ただ、病気の延命に限らず、私たち一人ひとりの人生を考えていく時に非常に大切になります。

なぜならば、人生には、病の苦しみ以外にも、様々な苦しみがあるからです。
幼い子どもであっても、友だちとの人間関係に悩んだり、勉強などで苦しみます。
社会に出たら、仕事のことで苦労します。
コンビニや、駅のキヨスクでも栄養ドリンクが売られていることを見ても、クタクタな体にムチ打ってまで働かなければならない仕事の苦労を感じずにはおれません。
好きで付き合ったり、結婚したはずが、そんなパートナーのことで、悩み苦しむ人も少なくありません。
年を重ねれば、健康の悩みも増えてきて、食べたいものを我慢することも増えてきます。

あれを乗り越えればと目の前の壁を乗り越えると、すぐに次の壁がそびえ立ちます。
いつまでこんな壁を登り続ければいいのだろうか、
もう休みたいと思って、腰を降ろそうとすると、
もっと頑張れ、甘えるなという声がどこからともなく聞こえてきます。

身近にそんな悩みを打ち明けられる人があればいいのですが、
心配をかけたくないという思いがあったり、
そもそも話を聞いてくれる人がいない、
話をしても、真面目に取り合ってくれないということも。

こんな苦しいならば、いっそすべてを投げ出したいという思いになることは、誰しも一度はないでしょうか。
その思いが膨れ上がれば、自ら命を投げ出す選択をします。

ですから、苦しくともなぜ生きるのかという問いに関係ない人はありません。

生きていればいいことあるよ、死ぬ気があるならば、今の生活をすべて捨てて、新しい生活を始めればいいという人もありますが、本当に今、苦しい人には、その声は、慰めにはなっても、救いにはなりません。

そんな中で、ブッダは、その苦しみが、すべて報われる幸せがあるんだよ、どんな人も生きる意味があるのだよと、教えていかれました。
そして、その幸せになった時に、「人間に生まれてよかった」と心から喜べる幸せになれるのだよと教えられています。

ぜひ、そのブッダの教えられた幸せを知って頂きたいと思います。

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