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決断ズ・ハイ

 不思議なもので、一つの決断をすると、さらに決断をする機会が訪れる。

何かを「決める」ことで、停滞していた空気を切り裂くように歯車が動き出すかのような展開がままある。

Aを決めると、それに呼応するように Bの決断機会が訪れる。Aと Bは別段直接関係性はないのだが、不思議とタイミングを合わせたかのように、わんこそばを次々と注がれるかのごとく俎上に差し出されてくる。

この現象は一体何なのだろう。

ただ、一つひとつの決断までに大きくエネルギーや葛藤を注いだ分、決めて伝える、動くことが一種のカタルシスのような心境を生み出し、視界が拓けていく感覚にはなっている。だからこそ、決断機会が次々と訪れることで体内にアドレナリンが湧く状態にもなっているのか、Aの時よりも Bの方が、さらには C以降どんどん決断に注ぐエネルギーは軽減されていく。

「決断ズ・ハイ」だ。

 たまに決断の連続で、皮肉にも自分が本来やりたかったことが見えてくる時がある。一見無秩序な「決断の連鎖」が、点で繋ぐタイプの図形を描くように、自分自身の輪郭を形づくっていく。大げさに語ると、生きるコンセプトが後付けのような形式で見えてくる。

この状況がクセになると、迷っている時間がもったいなく感じる。何かしら選択肢が目の前にあり、その中でどれが自分にとっての正解かはまったくもって見えなくも、決めてしまい、指針の萌芽のようなものを一つ作ってしまえば、基準の誕生とともに後々の展開が一気にスムースになる。

それは別に「ワクワクに従う」などといった啓発的なものではなく、ただ正直に、感情にある程度沿ったものを選んでいけば良い。正解は選ぶ必要はない。自分にとっての「最適解」を選ぶ速度を早めていくのだ。

 人は、言葉にしても何にしても、"明確な何か" を常にチェックポイントのように求めながら生きているのかも知れない。

今日はこんなところで。

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