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「名前をつけて保存」する楽しさ

 何かしら煮詰まった時など、僕の場合、運動や散歩などに加え、「食器を洗うこと」が習慣になっている。

考え事をするのに、シンクはわりと最適な場所だ。洗い物が溜まっている場合など、一連の作業をただひたすら無心で行い、時には物思いに耽ったりする。

すると、凝り固まった思考が一度リセットされ、気分も晴れるし新たなアイデアも湧きやすい。

いつしか、自然に頭の中で『シンクで Think 』という名前をつけていた。くだらないダジャレだが、僕にとってこれがより一層の成果を生み、習慣化に拍車をかけてくれている。

「名前」として行為に意味や形を持たせた事で、もたらす効果が劇的に倍増される。「はじめに言葉ありき」とは良く言ったものである。


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 名前をつける事は、それまで抽象的で形のなかった事象を一気に具体的にし、自分や他者にとってその後の「共通言語」を築くための大切な儀式だ。

例えば、この曲をどう説明すれば良いんだろう…?などという悩みも、誰かが作ってくれた「ジャンル」という言葉が共通言語となり、その単語を介するだけで伝えるハードルが一気に下がる…といった具合に。

名付けることは、"解像度がある程度定着されることにより、近しいもの全てを安直に同じ方向にカテゴライズしてしまう" 危険性もある反面、"自分の中でモヤモヤしているもの達がわかりやすく「シンボル」化されることで、そのシンボルを起点に、より想像力や行動にブーストをかけてくれる" といった良い側面もある。

さらに言うと、人が作ったものではなく、自分で作り上げた「名前」は、絶対に頭から消えない。

文字通り「名前をつけて保存」である。

きちんと自分自身が生で経験し、血肉と化して来た道筋から生まれ出る「名を持たされし言葉」は、確実に、借り物の造語とは一線を画した恩恵を我が身にもたらしてくれるだろう。

それを押し付けがましくなく、自分の中で静かに育て、生産性やパフォーマンスを向上させる糧として、ひっそりと抱きしめながら暮らす事が理想だ。

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 「新しい名前」というものは、昨今の発明の定義と同じく、別段突拍子もないものである必要はなく、「あるもの+あるもの」の組み合わせで自分なりに納得が行けばそれで良いものだと思う。

名前がもたらすデメリットよりも、メリットの方が圧倒的に多いと僕は思っている。

ぜひ、皆もそれぞれの「名前をつけて保存」を楽しんでみて欲しい。

今日はこんなところで。


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