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言葉はいらない

 「言葉はいらない」。

聴こえは良いが、それは本当に関係性の最上位を築いた人達が、以心伝心を適切に果たした際、あくまで  "後付け" で言う表現だと思っている。

はじめから「言葉はいらない」を姿勢として示してくる人は、経験上あまり良くない印象を抱いてしまっている。

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 同じく「見て技を盗め」系の言葉がある。

ある時代まではそれは様式美として師匠から弟子に対して受け継がれてきた伝統かも知れない。「推して知るべし」や「沈黙は金」に近いノリで、特に日本は「語らないこと」を美徳とする文化があるから、修行というものはそういうもの、という概念が昔から定着し、それが今もなんだかんだで脈々と息づいているのだろう。

しかし、師弟間や上司部下の間、対一関係で発生する「見て技を盗め」「言葉はいらない」はどうぞご自由になのだが、取引などで相手、ディレクターなどがある程度地位もあり、それなりに自分の立場・センスに権威性を持っている場合、致命的な伝達能力の薄さを上記のような綺麗な表現にすり替え、正当性を誇示してくる時がある。これは正直きつい。

チームによるクリエイティブを効率的に進めるためには、ある程度言語センスも必要だと僕自身は思っている。むしろ言語センスの方が大事かも知れない。

自分の中で見定めたゴールを、いかに社内社外関わらず全体共有し、同じ温度感や成果感を抱かせるかは、そういった人達の裁量にかかっていると言っても過言ではない。

それを「芸術 = 言葉はいらない」というロジックで安易に作り手側に委ねてしまうのは一つの怠慢だと僕自身は思っている。

 そういった人達は、監督業より現場で制作業をやる方が皆にとって幸せじゃないのかな。一人で完結することであれば、もちろん自分の中で「言葉はいらない」んだし。

今日はこんなところで。

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