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接続

 明けましておめでとうございます。

寝正月にしようかと思いながらも、きっちり同じ時間に目が覚めた。おかげさまで、素晴らしい初日の出を拝むことも出来た。

抱負というものでもないが、今年はより一層、「接続」のあり方について考えていきたいなと思っている。

 昨年は、新型コロナウィルスの蔓延が僕自身も含め多くの人々を翻弄させた。あらゆるものに物理的分断を強いられ、動きを制限させられる大変な一年だった。

のっけから悲観的なことを本当は書きたくないが、これは冷静な目線として、昨年をある種の序章とすると、本格的な "物語の本筋" が始まる元年でもあるのかな、と思っている。

今までは、民間の食い扶持を確保させるために、あらゆる産業に対し、言い方が悪くも「騙し騙し」で人半分、機械半分のような状態を保たせていたのだろうが、いよいよもって思い切った決断を打ち出す企業が、おそらく今年中に続々増える見込みだと何となく感じる。

政府はじめあらゆる企業たちは、翻弄されながらも、国全体を生き残らせるために、人を使わない利便性の方へ舵を切っていくことはある程度目に見えている。労働者の生活力を支えるために、あえて人的資本を使っていた(例えばスーパーのレジや宅配など)気遣いが、一気に前時代化してしまう(させてしまう)気がしてならない。

これは未曾有の危機と同時に、企業からしたら本来やりたかったコストカットへの一つの大義名分でもあったりする。そのあたりの打算も含め、名分を巧妙に使いつつ、時代は大きな転期を迎え、スライドしていく。

これにより、静かな崩壊がいったんは訪れるだろう。古い価値観が淘汰されるために。

 但し、ネガティブな反面、「お金」という単一価値観自体がこれによって変容しそうな気も少なからずしており、人を使わない、人を切っていくことで溢れる失業者に対し、ベーシックインカムを始めとした、各種セーフティネットを確保する決意も求められているような気がする。

さらには、消える産業と同時に「非接触の文化」に即した新しいジャンルの産業が定着していくのだろう。インターネットを文明の利器とし、"稼ぐ" という明確な意志を持っている人たちのみひたすらインセンティブを稼ぎ、稼げない人たちも最低限のインカムだけは確保する、といった具合に世界は進む気がしている。

なんせ今の状況に可逆性はない。時を戻すことはもはやできない。

増えていく陽性者、並行して増える重症患者たち、ワクチン開発をあざ笑うかのように出現する変異種などを見ていると、物言わぬウィルスたちが「まだ分からないのか」と問いただしているようにさえ見えてしまう。

コロナが黙示録なのか福音なのかは、ひとまずの終焉を迎えるまでわからない。人々がどのように観る角度を変え意識の変容の末にたどり着くかで、物語のラストは変わってくる。

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 こうした局面に対峙するたび、藤子・F・不二雄の短編『流血鬼』を思い出す。

周りの人間が吸血鬼化していくことに全力で抵抗するも、最後には幼馴染に噛まれ自分も吸血鬼化するのだが、実は "吸血鬼になった後の世界" の方が光に溢れ、安寧に満ちた世界だった…というオチの話。

脅威と希望は常に表裏一体であり、どちらに目を向けるのかを深く考えさせられた記憶がある。

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 つらつらと思うまま書いていたら、長くなってしまった。

接続。コネクト。家族や人々との関わり方。世間、時代との関わり方。歴史レベルの大きな転換点に立っている今、それらのあり方を改めて見据え、虫の目、鳥の目、魚の目を駆使しながら実践的な行動を増やしていくような一年にしたいと思っている。

今日はこんなところで。

今年もよろしくお願いします。

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