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コントロールできない事への割り切り

 どれだけ用意を周到に重ねても、計画が思うように進まない時はある。

特にチームワークを伴うものだったり、何かしら協力して行う作業などの際、全てがすべて自分の思った通り上手く行くことの方が珍しい。

そんな時に相手に変わって欲しいと思ったり、相手にこういう風に動いてもらいたいと思った時ほど、相手は思い通りに動いてくれず、一人憤慨し、ずっとモヤモヤすることになる。

 僕は起きうる事を自分なりに想定し、悪い事であればできるだけその芽は潰してかかりたいという傾向がある。根が心配性なので、「失敗したくない」という意識が働き、相手に何かを任せる時につい説明過多になってしまう。

でも、こちらがある程度思考延長上の風景を想像し、相手の心理の動きまで計算して指示や依頼をしても、説明が長くなればなるほど相手には響かず、むしろ煙たがれてしまう。

きっと、これはこれで自分が持っている支配欲だったのかも知れないな。

 相手の生きてきたフォーマットと僕の生きてきたフォーマットは違うので、当然だ。人間は外側のディテールはある程度似ていても、内側の設計図は全員驚くほど作りが違う。

人には人の思考フローがあり、手順がある。そうなると、響くことの方がまれだし、僕自身、他人から一から十まで行動を指図された経験があるので分かるが、ただただ鬱陶しい。

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 コントロールできない事はしない。

基本的な事だが、このマインドはある時期から自分にとって良い諦めをもたらしてくれた。

コントロールしようと思って起きる事象と、あえてコントロールしない意志の末に起きる事象とでは、自分自身受け止め方が全然変わってくる。後者は覚悟とともに、「どんとこい」といった余裕も生じている事がわかる。

欲を手放し、相手に全てを任せる事はとても怖いが、怖いと同時に、強迫観念にかられた自分の心に安寧をもたらしてもくれる。

 「コントロールできない事はしない」という諦めは、僕にとってはあらゆる呪縛から解き放たれるための儀式だ。

代わりに自分の気持ちや行動はいくらでもコントロールできるので、そこに注力し続ける人生に全振りしたい。自分自身の成長の実感と心の余裕が、不思議な事に周りの人間との関係性も良好に変えていくという構図は確実にあると信じている。

 「人事を尽くして天命を待つ」「果報は寝て待て」などは、自分自身ができる限りのコントロールをし尽くした時に、初めて通用する言葉だと思っている。

今日はこんなところで。

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