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アルカイックスマイル

 事実を単なる事実として受け止めることに慣れると、非常に楽である。

事実に対して「解釈」を加えすぎると、時に妄想の装飾が勝ってしまい、そのことで歪んだ認知が働き、例えば A という無色透明な事実において、 A' どころか B として全く違う次元で、物語を都合よく自己生成する。

人間は基本的にネガティブ思考を前提に生きる傾向があるので、妄想によりいらぬ怒りを持ったり、いらぬ落ち込みを持つことも多い。情報が少ないほど、そこに意味を見出すために自分の経験を土台とした解釈と妄想が一気に働き始めるのだ。

過去の思い出にあまりポジティブなものが多くない人ほど、「妄想」の枝葉が育ち、気がつけば生い繁った心のバリアに囲まれ、本来幹に対して当てるべき光を遮断し、屈折させる巨木と化していたりする。

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 自分自身かつてそうだったが、ある打開策によってだいぶマシになった。

物理的手法とはなるが、一人でいる時、他者といる時関わらずアルカイックスマイル(自然な微笑み)を常時保つ。これだけで、ある種のニュートラルな心境を不思議と維持することができている。

ニワトリ卵の理論ではないが、なんとなく「笑っていること」がある種の副交感神経への作用を促し、起きたことや言われたことに対して良い悪い関わらず、どこか「他人事」としていったん受け止めることができるのだろう。

事象に対し深刻に重く受け止めるのではなく、「君はそんな風に考えているんだね」や「なるほど、そうきたか」「面白いことが起こった、さてどうしようか」などの "一呼吸" が自然とつけるようになる。

案外瞬発力はいらない。一呼吸置いた時点で、ある種ホームグラウンドはこちら側にあったりする。その上で、事実を冷静に見つめる俯瞰的視点をキープする。オセロのコマを一つひとつ丁寧にひっくり返すような要領で、まずは目に見える範囲で修繕箇所を探し、そこから手を入れていくような感覚。一つ目の絡まった糸さえほぐれたら、そこから先はよりリアリティに沿った対処も可能となっていく。

余裕や余白を意識的に自己の中に根付かせるために、僕にとっては "笑み" が起動スイッチとなっている。

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 仏教用語で「莫妄想(まくもうぞう)」という言葉があるように、事実を歪めていく妄想を妄想だと認め、溶かしていくことは大切だ。

そのための最たるものとして、アルカイックスマイルをできるだけ湛えていようと、僕自身はそのように結論づけている。

綺麗事と捉える人ほど、騙されたと思って試してみて欲しい。

今日はこんなところで。

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