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年賀状

 紙の年賀状をめっきり書かなくなった。

これでも数年前まではけっこう律儀に、印刷会社に発注をかけてオリジナルの年賀状を大量に作っていたものだが、ここ数年は届いた年賀状にお返事がわりの年賀状をしたためるに留まっている。

一時期は年賀状を書こう、という世間的な風潮も手伝い、紙の年賀状を愛でるように書く習慣もあったのだが、同じデザインのフォーマットに一言二言、ライン作業のように書いていくことに対し「密度がないな」と感じるようになり、はたと止めた。

乱暴さを恐れず言えば、知人や取引先が増えるほど、無機質な流れ作業に対しかえって心を喪失しているような気持ちが生まれてから、少なくとも自分から年賀状を書こうという気はなくなってしまった。

 確かに、書いている間はその人の事を思い出す。し、逆の立場で言えば、内容が簡潔なものであっても、届いたら嬉しいものでもある。

特にイラストレーターやデザイナーの方々などは、自身のイラストのプレゼンテーションも兼ねることができるので、機会としては僕と真逆のモチベーションで沢山描いた方が良いという場合もある。僕自身も個性をできるだけ発揮できるようなデザインフォーマットをチョイスし、彼らの恩恵に与っていたものだ。

ただ近年の僕の場合は、書く時に「手早く書いてしまおう」というタスク感覚がどうしても先に来てしまい、心が乗らない。このデザインを届けたい、という個性の発揮機会より、大量生産による内容の希釈度合いが増加するほど、これって(自分にとって)意味あるのだろうか?と考え出してしまう方に心の舵を切ってしまった。

本来温もりを感じるためのコミュニケーションツールに、温もりを感じなくなった際残るメリットって何なんだろう。

 同じような理由で、「名刺」というものにもあまり重要性を感じなくなった。

今やインターネット上でいくらでもステータスを開示できる状況なので、一応名刺は渡すも、詳しくはデジタルプロフィールをご参照くださいといった具合だ。

 総じて「重要性がない」と片付けるよりは、文化の惰性に無思考で乗っかり続けていたくないような、言葉で言い表しにくい感覚を抱いている。決してアナログ一刀両断なつもりはない。本は相変わらず Kindle よりも紙の本で買い続けていたりするし。

これは完全に自分の問題。他の人たちは何も悪くない。

今日はこんなところで。

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