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最適化の儀式

 脳のデフラグ(最適化)を最近できていない。いろいろな情報やタスクが断片化されたまま頭の中にあり、それらをうまく消化できないまま、別の新しいことが訪れることでより一つのことに集中できていない気がする。

もちろんすべては自分自身が能動的に構えるバイオリズムだし、ある程度忙殺状況が落ち着けばいつものペースに戻るんだろうが、ゴールテープを切らないまま、答えが見えずペンディングされた状態のものをずっと抱えて別のタスクに臨むことが、地味にストレスを生んで仕方ない。

忙しいことは本当にありがたいが、それぞれにおいて明確に荷をおろすことも定期的に必要であり、それが別の仕事へのメリハリになることも多い。本来別の作業に割くべき時間帯を、終わらない案件の実質的に必要有無がわからないタスクに費やしている時間帯が生じることで不毛感、徒労感を抱くようになってしまうと「いよいよだな」という気持ちになる。

誰も悪くなく、自分の頭の中での問題。なのに、自分でコントロールする余裕がなく、他人のコントロール下に身を委ね、さらにそのコントロールに少なからず悪意を抱いてしまうという循環に陥るから危険だ。

 だからこそ、そんな時はあえて手を止めてでもデフラグの時間を設け、できるだけ一つのファイルは一つの塊として頭の中に保存しておきたい。根がシングルタスク脳である。あまりにも両手に抱える荷物が多いまま進むと全てをこぼしてしまう。

他人ではなく自分が手綱を引いているという実感を再確認することが、今はすべてにおいて気持ちを整える唯一の手段なのだと思う。しょうもない悪意の妄想に蝕まれたくない。全部は自分の思考の責任。管轄を明確にするための儀式。

なんとなく同じような内容のネガティブな記事が連日続いているが、これもリアルな感情の断片であり、残すだけでも気持ちが落ち着くといった自分用の備忘録である。「最適化」にとって大事なフロー。こんがらがった気持ちの整理に必要なんだ。

今日はこんなところで。

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