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開会式とゲームミュージック

 オリンピックが開催された。

注目された開会式、僕は後になって知ったが、選手入場の際に幾多のアンセムゲーム BGM が使われたとのこと。

別の用事があったのでリアルタイムで観てはいないのだが、SNS のタイムラインが相当賑わっていたので「そういうことか」と思った。

まず率直に、これまでの歴史において元来マイノリティとして存在し続けた「ゲーム」という文化が、多くのクリエイターの方々により認知され徐々に存在価値を押し上げていき、果ては開催国日本を紹介するアイコンとして、こうした形で発表されること自体は非常に嬉しいし、事実後追いにも関わらず興奮したのは隠せなかった。

日本という風土があってこそ育て上げられる「情緒」というものを最大限(これはどのクリエイティブジャンルにおいても言えることだが)クリエイターが大事にしてきた積み重ねで、ゲームおよびゲーム音楽がここまで国の代名詞として語れるカルチャーになっていることは確かだし、諸外国と比べても一番の個性となっていることは絶対的な事実なので、こうしてそれが結実することは本当に嬉しいし、音楽を作る端くれとしても誇りに思っている。

 だからこそ、より強く思ったのは二項対立的もどかしさだった。

こうしてゲーム音楽を大々的に選手入場に使用したことに対し非常に複雑な心境も覚えたことは事実。素直に嬉しいという気持ちと、政治的プロパガンダとして支持率の貢献に利用されているという邪推も含め、様々な印象を感じながら受け取ったのも確かだった。

あとひとつ、別に拳を振り上げて反対していた訳でもないし、二つ返事で賛成していた訳でもないので、これを語る資格が果たして自分にあるかどうかはわからないが、俯瞰的に見ていて感じたのは、文句ばかり散見していたにも関わらず、いざオリンピックで好きな演出をされた瞬間、多くの人たちが手のひらを返して「最高!」と褒め称えているさまに対する、大きな違和感だった。

こうして「まあ終わってみれば良かったね」という感動というものが作られていくのか、と軽く戦慄したのも正直なところだ。思ってしまったんだからしょうがない。

※選手の方々に言及している訳では決してありません。あくまで取り巻く背景に関して抱いた印象です

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 ここまでほぼ一筆書きの勢いで書き綴ったけど、今年のこのオリンピック開会式、自分がこれまで生きていても類を見ない程「いくつもの世界線を体験してみたい」と思わされる、幾多のハプニングを経て行われているイベント。

引き続き、歴史的瞬間の数々を観測しながら、自分の心境の推移も楽しみにしていってみたい。

今日はこんなところで。


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