面接は遅刻したっていい

自分の恥をさらすのもなんですが、僕は大学生のころ、就職活動にたいへん苦労をしました。4回生のときに内定をひとつも得られず、大学を半期休学して就職浪人の道を選び、5回生(?)のときにもう一度トライして、また内定ゼロに終わるという苦杯をなめました。

それが「時代のせい」などとは微塵も思っていません。たしかに就職氷河期と呼ばれた時代のど真ん中で、入社したいと思っていた企業がそもそも採用活動を見送るなんてことも珍しくありませんでした。でも、内定をもらえなかったのは、やっぱり自分の実力不足のせいでした。



そういえば一度、面接に遅刻したことがあります。

当時、付き合っていた彼女と同じ会社にエントリーし、なぜか同じ日にグループ面接が重なったことがあったのですが、面接の日に「本社ビルの前で待ち合わせをしよう」と約束していたのに、彼女の姿が一向に現れないんです。

ケータイに電話をしてもつながらず、メールの返事もありません。連絡の取れない子ではなかったので「これはいつもと様子が違うぞ」と焦りました。もしかして道に迷ってるんじゃないだろうか。いや、ここに来るまでの道中で事故に遭ったんじゃないだろうか。

心臓がドクドク、胸を打つ。頭が真っ白になっていく。

よし、面接が始まるまで、まだ15分ほどある。僕は本社ビルのまわりをぐるぐる駆け回り、隣やその隣のブロックまで走りました。「頼む、無事であってくれ!」と祈るような気持ちで、息を切らせました。でも、彼女の姿はどこにもありません。

しかたなく面接時間を5分ほど過ぎたところで諦めました。彼女の安否より自分の将来を優先する身勝手な僕を許しておくれと心の中でつぶやきながら。

そうしてビルの中に入ると、すでにグループ面接が始まっていました。その中に、さっきまで探していた彼女の姿がありました。僕より先に会場に着いて、中で待っていたらしいのですが、一向に僕の姿が見えないので諦めて面接に臨むことにしたそうです。

僕も遅れて面接グループに入りましたが、今さら何かを発言できるはずもなく。女性の面接官に「遅れてすみませんでした」と何度も何度も頭を下げましたが、蔑むような目で素通りされたことは一生忘れられない貴重な思い出となりました。



そんな「とほほ」な学生時代を送っていた僕とまったく違うのが、うちの妻です。彼女は自分のやりたいことを着実にモノにし、転職するたびに会社の規模も給料もステップアップしていく理想的なキャリアを積んだ人です。

彼女のエピソードで一番驚いたのは、東京ではじめに就職した会社の面接に1時間遅刻したのに採用された話。なんで遅刻したのかは忘れたそうなのですが、まあ、寝坊でしょう。しかし彼女は、それでも採用された。

当時の社長さんいわく「1時間も遅刻したくせに、それでも面接の場にやってくる図々しさに光るものを感じた」という。

「まっとうな」理由で5分遅刻した僕はまったく相手にしてもらえず、かたや寝坊で1時間遅刻した妻はむしろ積極的に採用された。この違い、一体どこにあるのでしょう。

でも、面接ってそういうものなんです。結局は採用する権限のある人が「この人を採用したい」「この人と一緒に働きたい」と思えば、なんでもアリと言えばアリなんですよね。

たとえば「風とロック」の箭内道彦さんは博報堂の面接でギターの弾き語りを披露したそうですし、goenの森本千絵さんも同じく博報堂の面接に、在学中に制作した作品の山をトラック2台に詰め込んでやってきたそうです。

形はどうあれ「こいつは面白い!」と見込まれれば、それで合格。学歴とか、志望動機とか、学生時代に経験したこととか、そういうものもまったく関係ないとは言いませんが、要は面接官の心に響くのが大事。

だからって面接に遅刻することをおすすめするわけではありませんが(妻の例はなかなかのレアケースですし)、でも「面接ってそういうものだ」と割り切るのも大事なのだと思います。

就職活動や転職活動における面接というのは「ここで働きたい人」と「一緒に働きたいと思える人を探している人」の相性を探る場なのですから。


このnoteは下記のツイートをもとにして書きました。


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