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岩田さんに会えた夜のこと

山梨にあるゲーム制作会社「HAL研究所」とお仕事をさせてもらったことがある。

あるウェブ制作会社がHAL研究所の「新卒採用サイト」を制作することになり、そのライティング担当として僕に白羽の矢が立ったのである。まだフリーライターとして駆け出しだった、2005年頃の話。

ファミコン時代から任天堂のゲームに親しんできた僕にとって、あの『星のカービィ』を作った会社に取材できるというのは特別なことだった。

山梨には2泊3日の日程で出張した。

同社に所属するプログラマー、アートディレクター、プロジェクトマネージャーの3名に朝から晩までみっちりお話を聞かせてもらった。就活生に向けたインタビューを通じて、一本のゲームが完成していくプロセスを追体験させてもらった。

ちょうどそのころ、「ほぼ日刊イトイ新聞」で電脳部長と呼ばれていた岩田聡さんに糸井重里さんが話を訊く「社長に学べ!」というコンテンツが掲載されていた。

この岩田聡さんという方は、もともとHAL研究所にお勤めの敏腕プログラマー。同社が経営難に陥ったとき、任天堂の山内溥社長(当時)が「岩田を社長にするなら」という条件で支援をされたというエピソードもある。

それから岩田さんはHAL研究所の社長として経営再建に乗り出し、その役目を見事に果たされたのち、山内社長の命で任天堂の次の社長に就任された。

岩田さんは世界的なゲーム企業のトップでありながら、糸井さんと親しくされていたことから「ほぼ日」にたびたび登場されていた。その語り口や朗らかな笑顔(の写真)に、僕はどんどん親しみを覚えていった。

でも、ゲームファンやほぼ日の読者以外で岩田さんのことを知るひとはあまり多くなかったのではないかと思う。

あれは、2015年の夏のこと。妻と義理の両親といっしょに富士山にドライブに出かけていたところ、岩田さんの訃報が飛び込んできた。

「岩田さんが・・・亡くなった」

声に出すと、車内は一瞬シーンとした。悲しみに包まれたのではない。僕以外、誰も岩田さんのことを知らなかったのだ。日本を代表する企業のトップが若くして亡くなられたというのに、誰も。

でもそれが、世間の一般的な反応だったのかもしれないと思った。

岩田さんは大企業のカリスマ経営者にありがちな、積極的に「俺が俺が」と前に出られるタイプの方ではなかった。

もちろんゲームショーでの基調講演などではご自身が壇上に立ち、その発言がニュースになることもあったけれど、たとえば実績を誇示する自伝や、持ち前の経営論や哲学を虚栄心で著したような本は一冊も書かれなかった。

それをする合理的な理由がないときは、自分はけっして前に出ようとしない。岩田さんは、そういう方だったからだ。

岩田さんが「そういう方だ」と改めて知ることができたのは、訃報から4年が過ぎてからのこと。2019年に「ほぼ日」から『岩田さん』という本が出版されたのだ。


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編集を担当された「ほぼ日」の永田泰大さんは、発売時に寄せたあいさつ文に、こんな言葉を綴られている。

岩田さんは自分が前に出るとき、つねに「私がそれをやるのがいちばん合理的だから」というふうにおっしゃっていた。大勢に自分の考えを発表したいわけではなく、個人の名を広めたい気持ちなんてなく、そうするのがいま進めていることにとっていちばんいいと判断して、岩田さんは行動していた。
もしも岩田さんに本を出していいですかと訊いたら、「永田さんの時間をそれにつかうのはベストな選択でしょうかね?」なんておっしゃるのだろうとぼくは思った。


『岩田さん』は、これまで「ほぼ日」誌上や任天堂のサイト(社長が訊く)で語ってこられた言葉を中心にまとめられている。

「そのとき何が起こったか」ではなく「そのとき何を思ったか」というお話が中心で、まるで本人の声がお人柄を伴って聞こえてくるような構成になっている。

僕はこの本を読み終えて、岩田さんに「実際にお会いしてみたかった」という思いが募った。

かつてHAL研究所のお仕事が運よく自分に降ってきたように、生前にインタビューをさせてもらえる機会があったなら、などと妄想もふくらむ。

でも、もう絶対に叶わない。いや、仮にご存命だったとしても、声をかけられる機会さえ与えられなかっただろう。

そんな岩田さんについて語られる場に、先日、同席することができた。代官山蔦屋書店で開催された「古賀史健が永田泰大に訊く『岩田さん』のこと」というトークイベントに、ひとりの客として参加したのだ。

『岩田さん』の編集担当であるほぼ日の永田さんに、ライターの古賀さんが話を訊くというかたちでトークが展開され、後半は糸井さんも飛び入り参加された。


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その2時間はまるで、そこにはいない岩田さんを囲んだ、明るい告別式のようだった。

訃報から4年が経っていることもあるだろうけれど、故人を語るときになりがちな湿っぽいムードは一度として訪れなかった。はじめからおわりまで、終始にこやかな場だった。

その場にいた僕はただの客で、岩田さんにお会いしたことはないのだけれど、トークを聞いているとなんだか実際にお会いしたことがあるような気がしてきた。

「こういうひとだったんだよね」と、生前親しかった方々が言葉を重ねていくのを聞きながら、岩田さんが存命でいらっしゃったときの空気に包まれた感覚さえあった。

岩田さんはそこにはいなかった。

けれど、僕は、岩田さんに会えたのだ。

よくSF映画で「体は消滅しても脳を人工的に存続させて永遠の命を得る」みたいな設定があるけれど、今回出版された『岩田さん』という本はまさに岩田さんそのものを現世に残してくれたようなものだと思う。

(本のタイトルが『岩田さん』というのも、まさに)

本に遺されている言葉がこれ以上増えたり、減ったりすることはもちろんない。でも、読み手の環境や心境が変わるたび、心に響く部分が変わってくるはずだ。それくらい普遍的な話ばかりだから。

だから何かに悩んで、岩田さんに話を訊いてみたい、岩田さんに学びたいと思ったときは、いつでも本のページを開いて「岩田さん」に会えばいいのだと思う。

僕は、僕たちは、いつでも岩田さんに会えるのだから。


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フリーライターとして駆け出しだったころ、僕はお仕事をいただいて、山梨のHAL研究所に向かった。

JR竜王駅でカメラマンさんと待ち合わせしてタクシーに乗り、社屋の前まで到着すると、社員さんが出迎えてくださった。

ふと後ろを振り返ると、大きな山があるのが見えた。それまで静岡県側からしか見たことがなかった富士山の山梨県側だ。

でも、雲に隠れてその姿はほとんど隠れていた。

がっかりしていると、社員さんが「富士山は照れ屋なんですよ」とおっしゃった。あまり顔を見せてくれないんですよ、と。

またもし、あの場所から富士山を見る機会があったなら。僕はきっと「岩田さんのようだ」と思うに違いない。

見えないけれど、そこにいる。隠れてるけど、気配を感じる。何があっても、大きく、やさしく包んでくれる。

だって、岩田さんはそういう方だから。

いや、お会いしたことはないんですけどね。


おまけ


最後に、トークイベント「古賀史健が永田泰大に訊く『岩田さん』のこと」でうかがった話の中から、岩田さんのお人柄を感じられるエピソードを共有させてもらおうと思います。

(以下の書き起こしや写真は、関係者に許可を得て掲載しているものです)


永田
ひとのこと、すごく分かってますもんね。若い開発者の気持ちとか。

糸井
うん。

永田
取材に立ち会ってて思いましたけど「名前が分かる」ってレベルじゃなくて、やっぱりそのひとの個性を把握してるから。だから「組織のことができる」ところがあった。

糸井
「これは人間が持ってる嫉妬の成分だな」とか、「これはやっぱり誰でもが欲しがる欲望だな」とかさ。そういうのを分かった上で「誰かが上手くいってない」っていうのを「いい」「悪い」じゃなく見られる。

永田
はい。

糸井
だから社員と長いこと話ができるんじゃない? それは彼のいちばんいいとこだったよね。で、自分を後ろにできる。そこがすごいよね。

永田
後ろでしたね、岩田さんは。

糸井
ちょっと過剰に後ろだった。もうすこしワガママ言っちゃったほうが逆に周りが楽だったかもしれないとは、ちょっとだけ思うなあ。

古賀
「過剰に後ろ」なのは、宮本茂さんがいたからでしょうか?

糸井
ああ。でも、なんて言うんだろう、素晴らしい役人っていうのはそうなのかもね。自分が前に出る意味もないと思ってるだろうし。宮本さんがいたからというよりは、やっぱり銀行に謝りながら生きてた(HAL研究所の)社長時代に「人はどう思うのだろう」っていうのを、結構見たから。


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糸井
だから岩田さんってクルマの買い替えみたいなのがさ、すっごい地味なのよ。

古賀
(笑)

糸井
2ミリぐらいに、買い替えるんですよ。

永田
同じじゃん、みたいな。

糸井
そうそうそう。誰もが乗ってそうな外国車でさ、そうすると債権者に目立たないじゃない? そういう癖はあるんですよ。

永田
ああ。

糸井
その話は岩田さんともしたことがあって、岩田さんも「(そういう癖が)残っちゃうんでしょうかね」って。彼が最後にいちばん気に入って思い切ったのが、アウディの「TT」ってクルマです。

永田
はいはい、クーペの。

糸井
あれは、みんなのスポーツカーじゃない? 高くもないし。

永田
やさしいスポーツカーですよね。

糸井
そう。おかげでウチのかみさん、後ろの座席で酔っ払っちゃって。

永田
それは酔ったってことですか? 乗り心地が悪かったってことですか?

糸井
乗り心地が悪かった。助手席しか乗れないのに(後ろに)少しすき間があって。「後ろに乗っかってけば行けるんじゃない?」って、スキヤキ食いに行ったんだよ。かみさんもまたちょっと無謀で「大丈夫、大丈夫、ここで」って。でも、駐車場に着いたときには顔色が悪くて。

永田
岩田さんの運転するスポーツカーで、樋口可南子さんが車酔いをしたと(笑)。

糸井
すごく丁寧に乗ってたけどね、岩田さん。でもかみさんは「二度と乗らない」って(笑)。

永田
聞いたことなかった、そんな話。

糸井
すごくおかしい話はあるけど、全部普通。今みたいな普通の話ばかりで「本に載せたら面白いでしょうね」っていうのはない。

永田
うん、そうなんですよね。

糸井
それが、なんかいいんじゃない。だから『岩田さん』に載ってることは「みんなが読んだらいいよ」ってことが全部載ってるも同然だと思うんだよね。

(おわります)

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