ともに白髪の生えるまで

ええと、びっくりしました。
単純な一人遊びのつもりでしたが、こちらも懐かしく覚えていますよ。

昨日、同僚に言われました。
「もしかして、ナガタさんって、自己評価がかなり低いんじゃないですか」
頷くばかりです。

>ワタシね、正直言うと悔しかったんだ。
>
>アナタの一個一個がなんだか上手くできてるようで。
>あんなに近かったのに、ね。
>
>
>単純に面白いと思ったから始めたけど笑ってたでしょう。
>すごいなあ、って。
>
>こんなので笑えるんだ、笑ってくれるんだ。
>
>面白がってくれるんだ。
>「すごいね、面白いね」って言葉にしてくれてるんだ。
>
>
>今日の夜は、それを思い出してた。
>
>
>お祭り、シマの歌、雨の日の花火、昼間の舟こぎ競争、夜の踊り。
>
>
>歌が聞こえたの。
>
>
>太鼓や指笛、雑踏。
>ガラガラな歌声。
>
>笑ってはなかったけど、飛び跳ねてた、楽しそうだった。
>
>
>なんで、ここに、いないんだろう、って。
>
>
>遠いな。
>もう、近づけないな。
>あんなに笑えてたのにね。
>
>
>悔しかった。
>悔しかったんだ。
>


姿は見えずとも常日頃の先々にあなたは宿ります。
それを伝えたかったんだと思います。
左頬を伝った涙が、わたし自身かどうかはずっとわからないです。

>>完全に筆が止まりました。
>>題名だけの記事が出来上がってしまうのです。
>>『ともに白髪の生えるまで』
>>



 六十五年後の夏、真夜中を告げるコノハズク、雨粒。
翌朝、五歳の弟を連れた姉が大人の前列に立って、自分自身の未来を見る。

 そっとノートを閉じる。
老婆の言葉を今一度響かせた。
棺に告げた別れが、声となって、動作に表れて、くっきりと、見えた。
でも、場の大人と同調できないでいる。
悲しいだとか、惜しいだとか、痛々しいだとか、感情を文字へ書き終えても淀みなくそれらを目視できる。
単に制服と喪服だったから、服装が違うからという理由でもないのだろう。
あの老婆の告げた言葉が幼い弟と同じぐらいにしか把握できていなかった。
何度も別れの言葉を繰り返す、内に響かせる。
感情は単調で、そんな事実の方がまだ悲しく思える。
 閉じたノートには過去の漫画本からこんな台詞が用いられた。
『この世は舞台なり――誰もがそこでは一役、演じなくてはならぬ』
台詞はもっと遠い時代に残る演劇家からの引用でもある。
遠い遠い未来、もし老婆と同じ立場にあったなら。
最愛の伴侶とも均しい誰かに向けて、残された別れをどう告げるのだろう。
想像の空箱に別れを演じる幼さも、大切に思う誰かと出会えるのだろうか。
繰り返す老婆の言葉に自然と声が出た。
「じいちゃん。バイバイ」
ゆっくりと動作を重ねる。
肩、肘、腕から指先まで。
立ち上がって、立ち尽くして。
(この世は舞台なり……)
台詞、一文字一文字を読み上げたあの人は戻らない。
「じいちゃん。バイバイ」
目線は順番に指先まで、ゆっくりと、動作を重ねる。

 回想する姉にぴたりと重なって、老婆は別れを告げた。
霊柩車を見送った後の時間がどれだけ長くあるのか姉には想像もつかない。
残る心細さはもしかすると姉自身が遭遇した留守番と似通うかもしれない。
あの別れから老婆は誰の帰りを待つのだろう。
それを考えると薄らとある感情が湧いてくる。
 弟が泣いていた。
内にも外にも進めずただただ玄関の扉あたりで立ち尽くしている。
どこに帰るのかも分からない姉の買い物を幼い弟は泣き明かした。


 私が読み上げた物語へ聞き入る老婆。
長い留守番は今日もしばらく続く。
「婆はどうして『姉さん』と呼ばれてるの」
「姉さんはね、みんな、ワタシ以外が、居なくなっちゃったからね」
 対面の動きで老婆は振り返って、私を呼ぶ声に向きを変えた。
「ねえ、おねえさん!」
誰より早く、呼びかけた弟に、老婆は返事をする。
活力ある声についつい調子もつられている。
「ハーイ、どうした」
「友だちと、あそんでくる」
「うん、いってらっしゃい」
数世代を継いだ老婆と弟とのやりとり。
老婆、私、弟、それぞれの隙間は満ち足りる。
 開いた窓は太鼓に合わせた座り歌が呼んでいる。
姉さんの瑞々しい歌はどこまでも。
じいちゃんの騒々しい声がいつまでも。

 弟が戻ってきた。
 姉さんを呼んでこよう。

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