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空想家

以下ネタバレを含む。
『さよなら絵梨』を日曜日に読んだ。









で、その感想を書こうと思った。でもネタバレ無しにあれこれ語ろうとするとどうにも難しい。なんなら最後の“ひとつまみのファンタジー”さえも。個人的にはとてもハッピーな結末であればいいなと読み終えた後であり、ただこれをどんなふうに伝えたものかで悩む。なので、もう深くは追わずになんとなく書いてみる。

主人公とヒロインの場所であった廃墟。建物が崩れ落ちるほどの大爆発に背を向けて歩く。

見開き、ラストの一コマ。爆発オチ。
もしも登場人物に一言を向けられるなら、「最高だったよ。最高の映画作品だ」と伝えたくなった。
そのページをめくると白抜き文字で作者と背景スタッフの名。これさえも主人公らによるスタッフロールが流れていたように見えた。

手に取った漫画本を元の場所へ戻そうとして席を立つ時。わたしの頭の中に浮かんだ次のコマは、全校生徒がパイプ椅子に腰掛ける体育館の中だった。
この最高の爆発オチを目撃した一人として。笑っていたし、思わず涙を流してしまっただろうし。やっぱり、どうしても「最高だ!」と声に上げたくなったのだ。
もちろん、そのような場面は全くの想像にしか過ぎないんだけども。私自身がしょっちゅう起こす勘違い。見落としと読み間違いにキャラの区別が曖昧なのとで、最初の印象が刷り込まれてそこから抜け出せないでいる。

そっと明かすならば。
最後の場面である大人になった優太と若い姿のままである吸血鬼の再会は、あろうことか優太の父親と絵梨とで演じていたシーンなのだろうと読んでいたようだ。
何度何度と通しで読み、今でもぱらぱらページをめくって。どうもそうではないらしいと気づく。やっぱり優太自身の顔が違った。これがもしも父親であるとするならば、しっかり自分の役を熱演する姿形が映っただろうし(その上で大人優太は他の人物による代役だったらとも信じたくある)。

どうやらあの爆発オチがどうやったら活きてくるのかとそればっかり考えていたら、優太たちが作った映画が三度上映されたことで報われるのではと勝手に描いてしまった。
これもまたひどい見落としなのだけど、映画二作目『さよなら絵梨』を作り始めた頃の「一年で映画を見まくってインプットを増やす」と絵梨が言ったのを、「丸一年かけて映画を作って次の文化祭で流す」みたいに思いっきり読み間違えた。
そのために二年生の文化祭で『さよなら絵梨』、三年生の文化祭で最後の作品を流して、めでたし大団円と受け取る空想上の解釈が生まれたようだ。

そうだったらいいのにな。
これだけを元手に何度何度と読み返してしまう。悲惨な未来から進みださなければならない主人公よりも、高校三年間を撮り切った優太と絵里たちの勝利のピースサインをこの物語に加えていたい。
不思議なことに、この『さよなら絵梨』という漫画作品は、私が一人勝手に遊ぶおもちゃごっこさえも許してくれそうな包容力がある(と思う)。
唯一の逃げ道は三年生の文化祭での映画『さよなら絵梨』を終えた次のページ。絵梨の友達とされるカチューシャの女の子との会話だ。

「あのさ…… 絵梨ってさメガネかけてたよね?」
「……本人の希望で取って撮影した」
「歯の矯正は?」
「それも本人の希望で撮影の為に取った」

最初に読んだ時はしびれるほどに戸惑ったし、何度目を読み直してもずっと震えてくる。これこそ嘘、ブラフだと思ったりもした。
えっと、じゃあ。
きっとそういうことである。
優太が駆け上がった病院屋上で出会う絵梨は、スマートフォンで撮影された絵梨だ。
以降、どこにもメガネと矯正器具を付けた彼女の姿はない。

話の飛躍なのかどうかは私個人の判断を失ってしまうくらい。そのためにさっきの子どもじみた理解では今もこんなふうに考える。
(漫画を読む)わたしたちは、ちゃんと撮影された映画を見ていた、と。
そして昨日今日と繰り返し繰り返し一つの作品を読む。
その度に自分なりの思い、お気に入りが変わっていく。
父親と優太が二人で映画と爆発なるファンタジーを話すシーンが大好きだ。

“ファンタジーがひとつまみ足りないんじゃない?”
見開きで吹き飛ばされる爆発オチなんてもう最高だ。


蛇足にしかならないけれど。やっぱりパイプ椅子に腰掛けて、全員で観たい映画だなんて。どうだろう。この年の卒業式とかで流しちゃくれないかな。
でも、そうなると、大人優太の役は誰が演じたんだなんて。ノーヒントどころか一欠片、ひとつまみも描かれない空想が過ぎるか。

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