オリオン座

201909110424
早朝4時に目を開く。
遮光カーテンは星明かりさえも断つ。
手に取るようにわかる、見ただけでもわかる、その質量は緞帳としての機能を果たしていたのだ。
冷房を付けたまま、窓も締めて、オリオン座の下で輝き放つ一等星が、外音を確かめさせた。
肌が温かな風と錯覚するように、緞帳の役割も入れ替わる。
今では、その大袈裟な厚みも剥き出しの蛍光灯を遮るためでしかない。
だんだんと街の音が騒ぎつつあった。

今日は、74歳の誕生日じゃないか。
プレゼントを贈ろう。


201909110454
まだ隣の寝室からはラジオが漏れている。
そろそろ父親も時報に合わせて起きるだろう。
「早起きじゃない」
「朝、オリオン座が見えた。今日だけ、カーテン開いたままだったみたい」
5時の時報。
強烈な蛍光色が疎ましくあったのは、ベランダで見たはずの星空と午前4時に現れた詩の全部を覆い隠したからで、それらは自業自得の何物でもない。
寝室のラジオからテレビに切り替わるまでしばらく続けたいけれど、一層のことこちらの朝を早めても良い。
いや、そうこうする内に、朝はもう始まっている。
引き戸から聞こえるテレビの音量が下げられていた。


201909110657
第2便の空港行きを早めようと思う。
始発に乗った分だけ休みたい。
上手には書けないな、と。

朝刊に掲載された会葬御礼は、微かな記憶の中、歳上のお姉さんに他ならない。
野良犬にたじろぐ男の子は、通りがかりの制服姿が強く勇敢だったと思い出していた。
兄の同窓生でもあるその女性は9月2日に去った。


201909110714
続くバスの車内。
いよいよ日差しが眩しい。
それでも窓際はそのままにしている。
緞帳だとか、カーテンコールだとか。
「9.11、3.11」なんて発声を置き去りにして、足早にバスを乗り継いだ。

母親に告げられる朝で良かった。
「誕生日だね、おめでとう」
「おかげさまで」
わたしは同一に父親と交わした会話を母親の前でも繰り返す。
開いたままのカーテンから覗くオリオン座、話の流れで父親にも一等星を尋ねていた。
「何だったかな、忘れるね」
ラジオからテレビ、読み進めている朝刊からこちらに顔を向けて、若き父親が務めたプラネタリウムの昔物語。
ナレーションは、一年間、春から順に。
「琴座の、ベガじゃなかったかな。ベガを中心にして、オリオン座が回って」
「夏の蠍座、冬のオリオン座だっけ」
「そうそう。ベガ、アルタイル……ああ、すっかり忘れてしまうねえ」
ベガ、アルタイル。
シリウス、プロキオン。
名前だけではわからない星の明るさ、輝きだけでは思いつかない星の名前。

だから、亡くなった人の名前を名付けたんじゃないかなと思ってる。
一年間、春から順に、散りばめられた星々に。
紡ぐ物語は、大切な人が、ひときわ明るく輝いて。


201909110800
バスを降りた先、土産屋のベンチに腰掛けてから。
忙しく行き交う多くの排気音に混じる鳥の声。
ズアカアオバト、おそらくイソヒヨドリ、定期的な短い高音、数秒だけ止む排気音には束の間の奏音。

よくよく考えてみたら、今日のこれって、あれだ。
帰宅がてらの1時間ウォーキングとか、夕方の趣味三味線とか、一切合切が明らかになってしまうな。
まあ、いいんだけど。
わたし自身はネタバレというかネタバラシというか、手の内を明かすことこそがポリシーにあるから、そっから24時の時報オチまで、どんな役目を演じ切るか見守っていただけたら、これ幸い。

そうそう。
ウォーキングの予測変換で一瞬、「ウマ」が確認できたんで、帰る前に「ウマ」を買ってこないとだな。
んだば、8時30分出勤に間に合うように時間を調整してまっす。
行ってきまっす。


201909111229
昼休み。
「シダさん、じゃあ、さっきの会話をネタにしてもいいですか」
「さっきのー。ネタ探しの鬼ですね」
アシッドさんことシダさんの了承を無理くりに、続きを書いてみたい。

「今日一日の実況日記をつけてて、それで、何かネタになりそうな」
シダさんは呆れて、笑う。
隣同士、利用者2人と4席のテーブルで昼食を取りながらたわいもない会話から始まる。
実は今日が母親の誕生日で。
74歳になります。
母が38歳の時にわたしは産まれてて、下の妹に至っては47歳。
シダさんの反応には一つ一つ感情が伴う。
シダさんもまた母であるからだ。
「妹が産まれたのは、平成の始めです。そのころの話も最近になって母から聞いているんです」
例のごとく、わたしの導入部は話し慣れていた。
続く語り。
「ちょうど自然分娩が見直された時期でもあって、父親の出産立ち会いが認められたり、ラマーズ法についても話してました。PTAの命の授業で当時の出産を学んで、母は産みたいと決めたそうですよ」


201909111643
バス停で41分の便を待つ。
向こう側から。
確認できた。

30分後の降車場所に、1時間ウォーキングを加算する。
その差し引きが趣味三味線の練習時間になる。
実際、練習ってほどでもない。
調弦した開放弦を一定に搔き鳴らす。
抑えた歌声を乗せる。
そういった具合だ。

たまに録音したりもする。
弾き始めからは少しずつ調子を構築して、保てる速さが見通せたら一定に、六調踊りの場であれば、太鼓の相方とも合わせつつ。
映像を頭いっぱいに膨らませて、歌声を乗せる。

「ハレーエェーエー踊りするなーらー早よ出ーて……」
「立てばシャクヤクー座れーばーボターンーヨー、歩む姿はユリの花、ヨイヤナー」
何番が続いては、最後に、こう流れる。
「ハッピバァースデーエー、おかあーさーん」

いやいやいや。
無いわ。


201909112050
響き、明かり、冷気、眩く。
三味線、街灯、エアコン、アンタレス。
隠れ家とする祖母宅からは道の途中で蠍座が見えた。
十三夜の月の下、等間隔に照らされた闇を戻る。
ヘッドライトの光線と自転車の電灯がすれ違う。
街の明かりも賑やか、ペダルで進む速度が物思いを置き去りにする。
何もかもが去ってしまって、半日の綴りを往来する。

目の前で母親が取り出すバースデーケーキ、70と4つを示した5本のろうそくが灯っている。


201909112200
夕刻の1時間を歩きながらずっと考えていた。
単車を走らせるマツキさんと久しくすれ違い様にも何かが引っかかっていた。

「どうしたら、今日を忘れずにいられるだろう」

つい最近、三味線の弦を立てる駒(ウマ)が壊れた。
帰りに訪ねた2件はどちらも留守で縁が無い。
いや、縁が別の人にあったのだなと思い直す。
フクシマさん所も、アガリエさんの教室も、また機会が別にあるんだろうと思い直した。

どうして、忘れられずにいたのだろう。

ひとつ、考えが及ぶとしたら。
腕を一杯に伸ばして三味線を真似る小学2年生のわたしが浮かぶ。
吠える野良犬も恐怖の対象であって、8つ歳上の高校生が全部を解決できると信じたあの人も。
母親が出産を学んだPTAの授業も。

デネブ、ベガ、アルタイル。
ベテルギウス、シリウス、プロキオン。

オリオン座、蠍座。
両者の位置関係のように入れ替わる。

巡る季節にちなんだ名前が載っていて、覚えている名字のままであって。
その女性の記憶は野良犬から助けてくれた光景のみで、「ありがとう」とも言えないほどに泣き叫んでいた。
縁が無かったのではない、別の人との縁があったのだ。
お礼も、お別れも、届くことはなかったとしても。

今日を、今日まで。
両者の位置関係のように入れ替わる。


201909112330
緞帳に喩えた遮光カーテンから、窓際の簾へ、役割は譲られた。
外からはリュウキュウコノハズクとアマミアオガエルの鳴き声。
24時の時報まで。

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