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日本語で綴るアイスランド語の音声

 アイスランド語と言ったとき、中世北欧の諸々に興味があれば、きっとエッダやサガが書き残された中世アイスランド語――古アイスランド語とも呼ばれる――を真っ先に思い浮かべるだろう。もし特別の関心を寄せていないのであれば、アイスランド語を学ぼうという意気込みは、きっと19世紀にほぼ現在のかたちに整えられて出来たアイスランド語――現代アイスランド語と呼ぶことにする――に向くにちがいない。

 ある言語の歴史について仔細に話そうとすれば、いつまでも話題は尽きることない。そもそも何をもってアイスランド語とするのか、古ノルド語と中世アイスランド語はどう区別するのか、いつまでを中世として扱うのか、などにとどまらず、文法書であればコラムとしてわずかに語られるかもしれない話題――たとえば、現代アイスランド語にいたるまでの音韻や表記等の変遷や言語純化運動など――にだって困ることはないだろう。

 ただ、ひとまず中世から現代までのアイスランド語を一括りにして日本語で文章を書かなければならないとき、非常に面倒だと感じることがひとつある。それは、アイスランド語の地名や人名などの固有名詞を日本語で表記することだ。

 日本語にない音声を表記するのが難しいのは、なにもアイスランド語に限った話ではない。Goetheというドイツ語の人名が「ゲーテ」と定着するまでに幾種類もの表記があったことは有名で、品川力著『古書巡礼』(1982年、青英舎版)所収の「二十九人のゴッホ・四十五人のゲーテ」によれば、45通りの表記があったようだ。

 アイスランド語の音声を日本語で表すのにも苦労はあり、たとえば、öの一文字をもって表す音、IPA(International Phonetic Alphabet)では /œ/ と表す音を綴る際、今までに「オ」と「エ」と「ウ」が用いられてきた。こういった不統一に不便を感じはするが、そのうち言語学を専門とする人たちを中心に一定の基準が設けられるだろうと気楽に待っている。いま筆者が煩わしく思うのは、中世に関わる固有名詞であれば中世アイスランド語の再現音に則り、それ以外は現代アイスランド語の音声を表記することに一応なっているらしいことだ。

 いや、一応なっているらしい、と言うのは筆者の思い込みかもしれない。とりあえず中世を専門とする研究者は、だいたい14世紀まで(場合によってはそれ以降も含む)についてであれば、12世紀に編纂された『第一文法論文』(Fyrsta málfræðiritgerðin)に基づく再現音――その音声体系は現代アイスランド語とは異なる――に則って表記する習慣があるようなのだ。これは日本の研究者だけが行っているのでなく、英語などでも同様で、基本的に現代アイスランド語以外の言語では、中世の表記が採用されることが多い。

「巫女の予言」と呼ばれる詩は、現代アイスランド語ではVöluspá /vœːlʏspʰau/ (半長音を認めるならば、/vœːlʏspʰauˑ/)と書くが、アルファベットを使う言語ではVǫluspá /vɒluspɑː/ と書かれることが多く、もし日本語で音写するなら再現音の方は「ヴォルスパー」に、現代の方は「ヴォールスパウ」だとかになるのだろう。ほかにも、かの美髪王がHaraldrなのかHaraldなのかHaraldurなのかというように、中世の同じ人物や物事を指すのに表記が複数ある事例はあるが、アルファベットでは綴りがそこまで変わらないので、読者としても大した面倒はないだろう。しかし、それぞれを日本語で目にしたときは、同じものを示していても一見でわからず混乱したり、日本語の表記や音声での固有名詞を覚えることを諦めることになるかもしれない。

 現在のアイスランドでは、中世の人名や物事に対しても大抵すべて現代アイスランド語で表記することになっているので、中世アイスランド語を学ぶ前に現代語を学び、というより、はじめは現代アイスランド語のテクストを理解するために中世のテクストを読んでいた筆者にとって、当時の音声を問題にする場合を除けば、わざわざ中世の綴りや音声を用いることに煩わしさを感じるのだ。

 中世の人名や地名であっても現代語で発音するアイスランドでは、たとえば、Egillは/egilː/でなく/eiːjɪtl/と発音する。後者に基づくならば、「エギルのサガ」(Egils saga)は、日本語では「エイイトルのサガ」とでもすべきだろう。既に定着している呼び名を変えようとは思わない。しかし、ある文章において、中世に生きたEgillを「エギル」と呼ぶならば、現代に生きるEgillも「エイイトル」でなく「エギル」と書くべきだろうか。違う時代に生まれた同姓同名の別人だから別々の表記でも問題ないとみなされるだろうか。

 では、オークニー諸島のEgilsayという島は、日本語では「エギルセー島」と呼ぶようだけれど、もしアイスランド語でのEgilseyという綴りしか伝え残っていなかったら、中世風に「エギルセイ島」とするのか現代風に「エイイルセイ島」とするのか悩みはしないだろうか。中世のテクストにも登場し現在も存在するIngólfshöfðiやSkálholtという土地について語るとき、中世と現代のどちらの音に基づくべきなのだろうか。

 ひょっとすると、やったもの勝ちというか、それらしい表記がされて残ったものを日本語に定着したものとしてみなし、ただそれに従えばよいなのかもしれない。おそらく、dóttir / touʰtɪr/ が「ドッティル」としてほぼ定まっているように。ただ、半端に知識があると二の足を踏んでしまう。自分が(ひょっとすると初めて)日本語で表記するのだと思うと、ちょっと原稿から距離を置きたくなる。どうやら筆者は、そういう状況にいるらしい。

 現代人が日本の古典に基づいた話をするとき、蝶々は原則として「てふてふ」でなく「ちょうちょう」と言い表すのが最も面倒がすくなくてわかりやすい、と言うのは、現代語を学んだあとに古語を勉強した者の我儘だろうか。当時の表記そのものや発音を問題にする場合は別にするにしても、アイスランド語の言葉を仮名で表すときには現代アイスランド語の音声体系に従うようになれば、きっと表記のブレや書き間違いが減るのに、と過去に自分が書いたものを眺めるたびに思う。

 長々と書いたが、これは、筆者が中世アイスランド語の音声を日本語で写すとき、現代語からに比べると覚束ない手つきで行っているので、そのことを読者は留意した方がよく、また筆者による間違いを見つけたら教えてほしいと思っているのと、機会があればまとめて直すことを考えてはいることを表明したいがための冗長な言い訳のようなものだ。

文責:朱位昌併

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