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アイスランドのバラ

オイズル・アーヴァ・オウラヴスドッティル(Auður Ava Ólafsdóttir)の小説『Afleggjarinn』が、神崎朗子さんによって翻訳され、『花の子ども』として早川書房より刊行されました。

以下のリンク先で冒頭が公開されています。

とても美しい装幀のようですので(筆者はまだ実物を手に取れていません)、見て触れて堪能していただきたい本ですが、電子書籍版もあります。


実は、縁あって本作の解説を書きました。

この解説では、作者オイズル・アーヴァの紹介や、作品が執筆された当時のアイスランドについて述べ、作中で重要な役割を果たす八弁のバラを意味するアイスランド語 áttablaðarós(アフタブラーザロウス。áttblaðarós(アフトゥブラーザロウス)とも)から想起されるものについても言及しました。

このnoteでは、『花の子ども』を読むために必要不可欠な知識、ということではありませんが、アイスランドのバラについて、すこし詳しく紹介したいと思います。ひとくちに言えば、海外からもたらされたものを除くと、アイスランドにおいてバラはとても珍しい植物です。


アイスランドに自生しているバラ科の植物は、二種類あります。

1)光(煌めき)のバラ(glitrós)こと、Rosa dumalis

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Wikipediaより)

2)棘のバラ(þyrnirós)こと、Rosa pimpinellifolia

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Wikipediaより)

どちらもアイスランドでは非常に珍しく、特定の場所でしか観測されていません。しかし、別種だけれどもバラ(rós)という名前がつく植物であれば、アイスランドに広く分布しているものがあります。たとえば、

1)砂州のバラ(eyrarrós)こと、Chamerion latifolium

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Wikipediaより)

2)湿地のバラ(engjarós)こと、Comarum palustre

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Wikipediaより)

3)千の葉のバラ(þúsundblaðarós)こと、Athyrium distentifolium

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Wikipediaより)

それぞれ、ヒメヤナギラン(姫柳蘭)、クロバナロウゲ(黒花狼牙)、オクヤマワラビ(奥山蕨)という和名のとおり、どれもバラ科の植物ではありません。20世紀になってから輸入されて温室で育てられるものを除くと、アイスランドはバラ科の植物にあまり馴染みがありません。

アイスランド文学では、中世にヨーロッパ大陸の『トリスタンとイゾルデ』などを翻訳することから始まった騎士のサガ(riddarasögur)にはバラが登場するものの、主に国内での出来事を扱ったアイスランド人のサガ(Íslendinga sögur)にバラは出てきません。ただ、キリスト教文化を大いに摂取してからは、比喩やことわざをはじめとして、バラという言葉が徐々にアイスランド語でも使われるようになります。美の象徴として言葉は用いられていても、バラは、ながらく海外にしか育たない花でした。


そんな国(『花の子ども』の主人公がアイスランド育ちだと明記されてはいませんが)で育てられたバラが実際にどのようなものなのか、読者の興味は尽きないようで、これまでに作者に質問した人もいるようです。

また、作者のオイズル・アーヴァが美術に造詣が深いこともあってか、ゴシック建築のバラ窓と作中に散りばめられたキリスト教美術のモチーフを関連させて、八弁のバラの正体を突き止めようと試みた人もいます。

しかし、八弁のバラが、いつのまにかアイスランドにやってきて、気がつけばすっかりこの地に根を下ろしていたものだとすると、解説でも述べたとおり、このような模様が真っ先に思い浮かびます。

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Varmaより)

試しにインターネットでáttablaðarós(もしくはáttblaðarós)と検索してみれば、植物でなく、刺繍や編物についてのページや画像がたくさん出てくるでしょう。間違いでなく、むしろáttablaðarósと言われて実際の植物を思いつく人の方が稀です。

雪の結晶にも見えるためか、なんともアイスランドらしいと観光客に思われることもある八弁のバラですが、18世紀に編纂されたパターン集に類似するスカフタフェトルのバラ(Skaftafellsrós)という模様が確認されていることから、すくなくとも200年以上は、このような模様がアイスランドで刺繍されつづけていることが分かっています。

八弁のバラ自体は、ノルウェーやデンマークにもあるようですが、アイスランドの地名を冠したこの模様は、この国独自のものと見なされており、アイスランド国立博物館では刺繍セットが販売されているので、気になった方は挑戦されてみてはいかがでしょうか。

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アイスランド国立博物館のウェブショップより)

いくつか変種がある八弁のバラの人気は今なお衰えておらず、基本的なパターンを新聞で公開した人もいるので、まずはここから始めるか、自分なりにアレンジしても面白そうです:https://www.bbl.is/folk/hannyrdahornid/thvottastykki


このnoteを書いている最中、近所の花屋を覗いてみたら、赤いバラが3本3000 ISK(約2600円)で売っていました。特に飾れる場所がないので、かわりに編物を再開するか新たに刺繍に挑戦し、八弁のバラをあしらった何かをつくってみるのもよいかもしれない、と思う今日この頃、21時を過ぎてもいっこうに沈まない太陽に、夏が近づいていることを実感しています。


(文責:朱位昌併

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