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【短編小説】妄想女子飯 第三話 「銀座 〜鳥政〜」

「本日の東京都の最高気温は、34度。熱中症対策を忘れず、こまめに水分補給をしてくださいね。それでは、いってらっしゃい!」

朝でも暑いであろう日差しを受けながらも、涼しい顔を保ったお天気キャスターがそう言っていたっけ。
すっかり夏のコンクリートジャングルと化した東京では、体感温度はもっと高い気がする。

私の職場はリモート化が進んだけれど、現場に行かないとわからないことも多い。そのため、基本は現地へ向かうことにしている。

特に取材は、信頼関係ありき。
初対面でオンライン取材などもってのほかという信念を部長から受け継いでいる五十嵐美智は、ようやく日が落ちてきたにも関わらず、体にまとわりつく汗を感じながら銀座の街を歩いていた。

先ほど、取材で訪れたワインバー「月夜」。
佐々木が店長を務めるそのバーでは、珍しいワインをたくさん取り揃えている。

何より特徴的なのが、どのワインでもグラスでオーダーできる点だ。
ワインは開栓後の寿命が短いため、どの飲食店でもボトルでの提供がメインで、グラス単位だと決まった種類の中からチョイスすることが多い。

グラス単位での提供で運営をし続けられるためにはどんな秘密があるのか、その形態でお店を始めようと思ったきっかけは何かなどをたっぷり聞かせていただいた挙句、テイスティングまでさせてもらった。

取材が終わる頃にはすっかり夕方で、腹の虫がそろそろ時間だぞと主張する。

「佐々木さん、このあたりで気軽にいける美味しいお店、どこかないですか?帰りに寄ろうと思って」

佐々木はうーんと考えつつスマホを取り出すと、「今日みたいな天気の日はビールでしょ?焼き鳥はどう」、と言ってきたので、食い気味に「最高!」と答えてしまった。

「本当に美味しいご飯に目がないね」と少し呆れ混じりに笑いつつ、焼き鳥屋の大将に電話して繋いでくれた彼には、感謝しかない。

「わあ、なかなか渋くて素敵なお店」

店の前に到達した頃には、すぐにビールを流し込みたい程度には身体がほてっていた。

「ごめんください」と店に入ると、炭火の前にカウンターが並んでいるだけのこぢんまりとしたレイアウト。
大将一人で焼きながら回している様子のため、目が届く範囲はこれが限界なのだろう。

「佐々木さんから電話があった方ですね。どうぞ、一番奥の席へ」

ぎゅっと引き締まった表情ながらも声のトーンにはあたたかさを感じるので、歓迎はしてくれているであろう。

お客さんは常連が多いようで、サラリーマンの一人客から出勤前のママまで多様だ。適度に会話しつつ、皆が串に舌鼓をうっている。

いやいや、人の食事を見ている場合ではないのよ、美智。一刻も早く、私もお腹と心を満たさねば。

「ビールをお願いします。それと、串はおすすめのものをいくつか」

間も無くして、ビールとお通しが手元にやってきた。大根おろしにうずらの卵を乗せたお通しは、焼き鳥屋ならではだ。

「おや、ここにくるのははじめてかい?僕は早藤。よろしくね。通はそれに焼鳥をつけて食べるとかなんとか。口直しに食べる人もいるし、人それぞれだけどね」

このお通し、どうやって食べようかいつも迷うのよねぇ……と考えていたら、ふと声が降ってきた。

横を見てみると、髪と顎髭を丁寧に整え、細縁の眼鏡をかけてたスーツ姿の男性。
歳は37くらいだろうか。身につけているものはどれもしつらえが良さそうだが、嫌味を感じさせず彼に馴染んでいる。

「早藤さん、どうも。五十嵐です。今日は紹介されてこのお店に来ました」

「そうなんだ。ここは、とても良いお店だよ。最近は銀座の高級店でも写真映えを狙うお店が増えてきたんだけど、ここは相変わらずでね。職業柄たくさんのお店に行く機会があるし流行りのグルメも好きだけれど、最後はどうしても安心感のあるここに来たくなっちゃうんだよね」

言われてみれば、みんな心から落ち着いたような感じで食事の時間を楽しんでいる。
写真を撮るにしても、さっと撮ってすぐに口に運んでいる。

何が良いではないが、大将や料理に対してのリスペクトが感じられる。
みんな、銀座での遊びを目一杯楽しんだ結果、一周まわってここに落ち着いているのだろう。そんな彼らがとても羨ましく、かっこよく見えた。

「はい、手羽ね」

さっそく最初の串が運ばれてきた。「熱いうちにどうぞ」と早藤がハンドサインをしてくれたので、早速頬張ってみる。

口に入れる瞬間に鼻腔を通り抜ける鶏の香ばしい香り。噛んだ途端にじゅわっと溢れてくる肉汁。
必死になって頬張り、一瞬のうちに平らげてしまった。ぐびっとビールで油を流し込む。

「はあ〜、美味しい。幸せってこのことだぁ……」

次に来るのはなんだろうかと胸を高鳴らせ、時間差で運ばれたお新香をポリポリとかじる。

「いい食べっぷりだね。美味しいものが大好きって顔に書いてある」
そう話す彼の、綺麗な顔立ちをした頬がほんのり色づいている。

手元にあるグラスはびっしょりと汗をかいていて、中身はもうわずかだ。「次の飲み物を頼みましょうよ」と言ったところで次の串が運ばれてきた。

いくつか食べ進めたところで、大将からレバーの焼き方を聞かれる。

ステーキでは当たり前に聞かれることも、焼鳥屋で聞かれることはなかったので面食らってしまった。
返答に困っている美智を見かねた早藤が「ミディアムレアがおすすめ」と耳打ちしてくれたので、その通りにオーダーする。

「ここのレバーは新鮮だから、お客の好みに合わせて焼いてくれるんだよ」

なんという良店。教えてくれた佐々木への好感度は上々だ。

焼き上がったレバーの官能的なとろけ具合に身を委ねつつ、食の幸福を堪能する。臭みが一切なく、丁寧に味わいたい一品だ。

早藤とはその後も、お肉はどの焼き加減が好みかなどの話題でひとしきり盛り上がった。

続けて何品かいただき、最後に鶏スープが提供された。

とても洗練されているのに、どこか食べ慣れたの味のようでもある。慈悲深いその味わいに、心の芯までじんわりと絆されていく。

〆でこんなにもほっこりできるのかと感銘を受けていると、「今日は出会えてよかったよ。また、ここでね」と残して早藤が姿を消していった。

銀座にまたひとつ、実家のように通いたいお店ができてしまった。

でもでも、実家で素敵な男性との時間を過ごすのはなんだか恥ずかしいじゃない?!などと勝手に妄想して、複雑な気分になる。

それでも、食の楽しみを分かち合える相方がいるのといないのとでは、食事の時間の楽しみ方が圧倒的に違うことを私は知っているのだ。

「それが妄想男子でなければ、どれほど良いのだろう?」と考えながら、お店を後にする美智だった。

さて、明日は何を食べようかしら?

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