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タイトルでカッコつけると失敗するかもしれない

ここでの「失敗」とは、noteのモチベーションを保つことについての話です。

昨日、noteと「意識の高さ」について自己分析する記事を投稿しました。

半年前、ごく短い期間に鼻息荒く連投していたときの記事を眺めると、なんというか……いくつかのタイトルに背中がぞわぞわとしてしまいました。

客観的に見て「痛い」と感じるようなタイトルであるかどうかはわかりません。ただひとつ言えることは、自分で「うわっ」と思うものは、自分の等身大ではない言葉だったということです。
たとえ、投稿者の胸中など知らぬ他人からすれば別にどうということのないありふれた文言だとしても、自分自身は「カッコつけたやつだ」ということをわかっていて、時間が経ったり心境が変わったりした後に見直すとその背伸びが気になるのです。
「読んでもらいたい!!!」という物欲しそうな気持ちが前面に出すぎている、という感じです。
そういう不純ぽいものが混じっていると、なんとなく自分の記事がある場所に来るために気力が必要になり、うっかりすると更新断絶ということになりかねない、と感じました(昨日まで途絶えていた直接の要因はそこにあるのではありませんが、拍車をかけた気はしています)。

この話は、ビジネスとして記事を書いて公開している人に向けたものではもちろんありません。フックになるようなワードや語順の工夫を仕込んで、ちょっと盛りながら関心を惹きつけて集客するのは大事なことですし、戦略的にやるのならいいのです。
ただ、100%自意識によってカッコつけてしまうと、文章を書くこと、物を考えること、ということに対して実直さを失い、アイデアも浮かばなくなりアウトプットが難しくなっていくような気がしました。万人がそうかはわかりませんが、とりあえず私自身はそうなるようです。

あくまで自分のために書いているという自覚があるのだから、ちゃんと誠心誠意自分や物事に向き合い誠実に書きつづっていくのが正解だろう、ということです。
積極的に誰か他の人のために書くのならば、その時はその相手を具体的に思い描いてその人に届くように考えるのであって、いずれにせよ「カッコつけ」はしなくていいよねと思いました。

後から振り返ったときに、自分が何のストレスもなく「うん」と素直に頷けるタイトルをつけることにしよう、と思うのでありました。

(タイトル的なものがばらばらと散らばっているような画像を探していてイメージに合うものを見つけたので見出しにお借りしました。ありがとうございます。)

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