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【50代の大学生日記 第27話】尖斉円健が最強の条件! ほんまに知らんかった筆の世界(前編)

 一応、小学2年のときから近所の牛乳屋のおっちゃんにお習字を習い始めてから書道キャリアは50年になるのですが、この年齢になって書道用品店のパートのおっさんをやってみて、「知らんかった!」と目からウロコが落ちまくることが多い今日この頃、今回は奥深き書道筆の世界について語ります。私の仕事の備忘録として書いていきます。

 書道用の筆は、いろいろと分類できますが、まず分けるとすれば「日本筆」「中国筆」でしょう。「日本筆」といっても原材料の獣毛や竹の多くは中国産なのですが、日本で筆にしているものは「日本筆」です。私は昔 神戸で中国筆を安くで売っているのを見つけて買ったことがあるのですが、毛がおもしろいようにズボズボ抜けるし、書き味にも違和感があったので、それ以来中国筆を使ったことがありません。(今は日本から技術指導をして品質もよくなったらしいですよ、知らんけど・・・)
中国筆と日本筆の大きな違いは3点。1つめは「命毛」の鋭さです。「命毛」とは筆の先端の尖ったところにある一番長い毛のことで、まさにこれが筆の命だ!と言われる毛です。特に「かな」のように命毛1本で筆脈を表現する細くも力強い線を書くときは、この毛1本で作品の良し悪しが決まると言っても過言ではなく、命毛がへたると寿命です。中国筆は命毛に鋭さがなく、「かな」には適しません。まあ中国に「かな」はないのだからあたり前ですけどね。2つめは毛の種類です。中国筆には「紫毫」と呼ばれるウサギ(黒兎)の毛がよく使われています。これは日本筆ではほとんど使わない毛で、弾力があり写経や賞状書きに適しているそうです。日本筆は命毛に鋭さを求めているのに対し、中国筆は筆全体で弾力を出しているイメージでしょうか。来年の昇段試験で私が苦手としている「賞状書き」にはぜひ中国筆を使ってみたいものです。そして3つめは値段。中国筆は日本筆よりとにかく安いです。でもひと昔前に比べて中国の人件費もかなり高くなってるし、為替レートもここ5年ぐらいで2割ぐらい円安人民元高になってるし、値段の差は縮まってますね。

私が所有する数少ない中国筆 この黒い毛が「紫毫」だ

 次に日本筆について詳しく見ていきましょう。日本の筆の産地といえば、広島県熊野町の「熊野筆」が有名です。化粧筆で知られていますが、書道筆でも全国一の生産地です。私はこれまで熊野奈良が「書道筆の二大生産地」だと思ってました。私が働いている店だけではなく、関西の書道用品店ではだいたい「熊野」と「奈良」を中心に扱っています。しかし、2016年の市場調査(売上金額ベース)によると、シェア1位が熊野:79%、2位が豊橋:9%、3位が奈良:5%、4位が広島の川尻:4%となっており、奈良は意外と低シェアで、むしろ豊橋が奈良を上回る生産地のようです。知らんかった。
 ただ、歴史的に見ると生産地は現在と様相が違っていたようです。西暦806年に遣唐使から帰国した空海(弘法大使)は唐の筆の製法を持ち帰り、奈良で国産化し、これが平安時代にかけて全国に広まったといいます。しかし、この当時、熊野豊橋川尻では筆は作られておらず、また空海が唐から持ち帰った製法は「紙巻筆」と呼ばれる現在の奈良筆の製法とは異なるものでした。後で説明しますが、現在の製法は産地によって微妙に違っていることから、のちに各地で独自に改良されて進化したものと考えられます。ちなみに「紙巻筆」の製法は現在、唯一滋賀県高島市の攀桂堂(はんけいどう)で作る「雲平筆」に引き継がれています。攀桂堂さんのHPによると、同社はもともと京都で宮中に納める伝統製法の筆を作っていたが、明治になると宮家とともに東京へ引っ越し、その後関東大震災で被災し、滋賀県へ移住したそうです。なるほど、現在の京都や東京に筆屋さんがないのにはこのような背景もあるのですね。

私の愛用する筆たち


  奈良は空海の時代から筆づくりをしていた一方で、熊野豊橋川尻といった生産地はいずれも江戸時代の末期から筆作りが始まったようです。
熊野は海からも離れ山に囲まれた、耕作地の少ないところだったので、農閑期には関西方面へ出稼ぎに行く人が多く、帰り道に奈良で仕入れた筆や墨を行商していたとされています。やがて筆の産地で作り方の技を学び、農閑期に自宅で筆づくりを始める者があらわれ、明治維新後の学校制度により書道教育が始まると、筆の需要の急増により地域を支える産業として発展したようです。川尻でも同じく江戸時代末期に、当時有力な産地であった兵庫県有馬から仕入れた筆を販売して成功した商人が村人に呼びかけて自ら製造を始めたのが起源とされています。豊橋でも江戸時代末期に京都から迎えた筆匠から習った製法を改良した独自の製法で業界の基盤を築いたとされています。豊橋の人の偉いところはその後で、一子相伝などとケチなことを言わずに弟子を積極的に養成し、彼らを全国の生産地へ派遣しお客のニーズを調査して商品に反映させたり、奈良の墨屋とコラボして東京進出を果たしたり、製造業者の組合をつくって技術の研究開発をするなど地場産業としての地位を確固たるものにしていったとされています。さすがは三河人、やることが一味違う。
 こんな感じでダラダラと書いていても終わりが見えないぐらいに、筆の世界は奥が深いです。筆に使う獣毛の種類や、生産地による製法の違い、タイトルにある「尖斉円健」って何なのか等々については後編でたっぷりと語りたいと思います。後編をお楽しみに!

参考文献 西田安慶『わが国筆産地の生成と発展~マーケティングの視点から~』 東海学園大学紀要 第1号



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