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日本の英語教育は無駄じゃない

「日本で中学校から10年日本語を勉強したけど、英語が全然話せない!」という話をよく聞きます。その通りだと思いますが、日本の英語教育が無駄だとは思いません。

日本の英語教育で育ったが、会社では英語要員だった

私の個人的な経験ですが、英語必須の会社に入った際に、基礎ができていたからこそ、入社早々に英語の文書の読解や、英語の会議の議事録作成に入ることができました。また、文章も会話も全く分からなかったわけではなくて、15%ぐらいはわかったから投げ出さずに取り組むことができました。

私のレッスンで目指しているのはここです。「いざ使うとなった時に、基礎ができているから早く成長できる。うっすらわかるから頑張れる」

とりあえず始める意味はある

日本語学習者の中には仕事などの必要に迫られて、サバイバル日本語を学びたいという人もいるかもしれませんが、私の生徒はそういう方は少数で、「教養として日本語を学びたい」という方がほとんどです。まずは文法を学んで、既習の文法を使って文章を組み立てたいという方が多いです。

一般的なペースで進めば、5-10回目くらいのレッスンで、今日何時に起きたか、何をしたか、週末何をする予定か話せるようになります。

私のレッスンでは、最初の5分と最後の数分は簡単な会話をするのですが、「こんなに話せるようなった!」と思ってもらうと、その後のレッスンへのモチベーションが上がるようです。

そもそも、必要に迫られている、迫られていないにかかわらず大人の学習者には文法の後で会話を練習するという流れが適していると思います。サバイバル表現を教えても広がりがありません。

一時期に全部バランスよく学ぶ必要はない

昭和の最後のほうに生まれて「ザ・日本の英語教育」を受けた私は、大学を卒業するまで英語はたいして話せませんでした。ただ、仕事で英語を使いはじめてからの成長は早かったです。なぜなら文法も語彙も一応習得していたから。

入社後まもなく、いきなり英語のミーティングの議事録を書かされ、英語のニュースをチェックしてまとめて社内回覧などをさせられました。ものすごく時間がかかったけれど、不可能ではなかったのは基礎ができていたからです。

日本の英語教育に足りないのは「話す機会」だったと思います。文法と文章読解中心で、アウトプットの時間がなかったのは個人的に残念です。会話の機会もあればよかったと思います。ただ、大人になってから時間をかけて文法を学ぶ機会はなかなかありませんが、会話の機会はあると思います。日本語の文法をわかりやすく説明してくれる外国人は少ないですが、ラングエッジパートナーなら、オンラインでいくらでも見つかります。その時に都度都度、自分に必要なボキャブラリーを足していけばいいのではないでしょうか。

ある日突然話せる日がやってくる

人間、使用頻度が多い言葉はそのうち覚えます。わたしは、日本語を教え始めた時、「活用」「助動詞」といった英語を初めて学びました。そもそも語学を教えている人以外にこの英語を覚える必要はあまりないと思います。

私の場合は文法の基礎はあるけれど、語彙、コミュニケーション能力がありませんでした。仕事で使う機会がなければ一生、「新聞とかなんとなくわかるんですけどね・・・」というレベルだっと思います。

私の生徒の中には逆パターンの方もいます、お母様が日本人で外国育ち、簡単な日常会話はできるけれど、語彙が家庭内で母親が子供に使う表現にとどまっている方などです。そういう方には、教科書を使って文法や語彙を導入していきます。

最初の20回ぐらいのレッスンは、本人もつまらなそうだしなかなかはかどりませんでした。ところがある時期から、ご本人の中で頭の中で語彙と、文法、表現などのバランスが取れたのか、覚醒したように以前よりずっとペラペラと話すようになりました。

挫折してもいいから始めよう

何を言いたいかというと、語学学習はいつ始めても遅くない、駅前の英会話、大学の大教室の第二外国語も、何が足りないか、レッスンの外で何を足せばいいかわかっていれば無駄ではないということです。





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