もはや、ネットに賢者は現れない。
1990年以降、インターネットから始まったテクノロジーによるボーダーレスの波は……とか書き出すとどっかの論評みたいですけど、そんな大げさな話でもなく、誰にでも使うことができるインターネットやそれを介したサービスによって、コミュニケーションとかも手軽になったし、SNSを使えばすぐに見知らぬ誰かと出会うことができるようになったわけですが、もはやそれが弊害になりつつあるんじゃないかって話です。
インターネットから始まったボーダーレスの理想
スマホのアプリとかを含め、サービスを基本無料にして、多くの人に使ってもらい広告費で稼ぐっていうビジネスモデルが定着したおかげで、デバイスさえあれば誰でもサービスを使えるよっていうのが普通になったわけですけど、実はこれにはものすごい欠陥もあったんですよね。
サービスの敷居を下げて、遍くすべての人に!っていうのは一つの理想ではあったわけですけど、正直現状を見ている限り、前提もなにも揃えずに人を混ぜることの弊害は必ずあると思うんです。
要するに、「混ぜちゃいけない人間はいる」ってことです。
オンラインのゲームしかり、SNSしかり、掲示板しかり、フリマアプリしかり、ほとんどのサービスにおいてユーザー同士の関わりっていうのはもはや逃げられないものになりつつあります。ビジネスの最前線でも「ユーザーをファン化させろ!」とか「サービスの核はコミュニティにある!」とか言われています。
たしかにそれはそうなんですけど、だからといって敷居を設けずに誰でも!ってするとまた違った弊害も出てくるんですよね
誰でも使えてしまうことの弊害
敷居を設けないSNSの究極がTwitterだと僕は思うんですが、Twitterってもはや危険地帯みたいなもんじゃないですか。
誰でも簡単に情報発信ができる故に、情報の質は担保されないし、リテラシー関係なく誰でも情報に触れられるが故に、情報の価値が真偽ではなくセンセーショナルかどうかで拡散されることになります。
情報ソースTwitterとか、最も信用しちゃいけないはずなんですが、現実はそうじゃないんですよね。この辺はコロナ騒動なんかで顕著になったのでわかりやすいと思います。
むしろ、バランスの良い中庸な意見ほどこういう場では価値を失うわけです。本当はそういう意見こそ、見ないといけないわけですけど。正論が好かれるわけではないですし、事実は面白くないものだったりするわけですからね。
で、そうなると賢い人ほどSNSやらないってなるわけです。
賢い人ほど発言することの割に合わなさに気がついてしまうし、賢い人はそもそも承認欲求拗らせていないわけで。そうなると、そもそもSNSをやる理由がなくなります。となると、賢い人はSNSを発言の場所ではなく、ただ見るだけの場所になる。
それが良いか悪いかは知りませんけど、僕にとってはそれはあまり歓迎すべきことではないです。社会にとってもいいかっていうとそうじゃないなと思います。
それにまだ見られているならいいんですが、行動力のある人なら自分たちのコミュニティに引きこもるようになるわけで、そうなるともう分断ですよね。
こうなると、SNSだと賢い風なことを言ってる人だけがいいね!稼ぎに残って、リテラシーの低い人たちに影響を与え続けるみたいな最悪の環境だけが残るわけで。
沈黙は金と言いますが、逆に妄言だけが取り沙汰されるようになるのは、単純に不健全ですよね。
規模を狙わないビジネスは作れないのか。
たしかにビジネスとして考えれば、いわゆるGAFAを筆頭に無料で使えることで爆発的にユーザーを増やし、プラットフォームとして盤石な基盤を作ったというのはありますし、すごいことです。けど、これからもそれが良いかというと、そこは問い直すべきだと僕は思います。
どんなサービスも万人にとって良いものは作れないわけで。
ちゃんとサービスをつくるときに、ターゲットはだれなのか。そして、どんな人に使ってほしくないのかを決めたり、安易に無料にせずちゃんとお金をとって、価値を見い出してくれる人たちを集めるとかするほうが結果的に良い発展ができるのではないかと思います。
その一つの証明として、僕はこれからもちゃんと敷居のあるサービスを作っていこうと思います。
以上!
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こんなこと言ってるやつが作った敷居の高い交流会があるんで興味のある方はぜひどうぞ。
基本、僕は100%います。
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では、お読みいただきありがとうございました!
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