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106「椿姫」デュマ・フィス

197グラム。いつも椿の花束を持っている美女。「椿が一本でもしおれたら……」とか「この椿が枯れる前に……」という描写が随所あるのだけれど、椿って枯れる前に落ちるんではないの。

 『椿姫』のおもしろいのは、まず経済小説なのだ。ちょっと執着しすぎなのではないかというくらい事細かにお金の話が出てくる。

 マルグリットは貧しい田舎で生まれ、14歳まで自分の名前さえ書けないような育ちである。それがパリに出てきて6年のうちにパリ社交界で一番の娼婦になる。あっぱれな才覚である。一年に一億円使うという驚異的な額の遊興費や服飾費も自転車操業でやっと回している必要経費というべきだろう。
  それに比べれば一見地味でつつましいアルマンの年収は親の遺産からくる年金800万である。年金だけではそれほどの額ではないが(わたしとしては異議あるところだが)仕事を持てば年金と合わせて十分な額になるだろうということでパリで弁護士の資格まで取らせてもらっている。しかし、資格はポケットにしまいこんで遊んで暮らしているのだ。つまり一度も自分の生活費を稼いだことがないし、金の心配をするという発想がそもそもない。

 さてそんな二人が付き合うとして、金銭面など生活の実際的な心配事をするのはつねにマルグリットである。アルマンが馬鹿なのだからそうするしかないのだが、当のアルマンは、ちょっと思い通りにならないとマルグリットが贅沢好きだから昔の暮らしが忘れられないのだ、というようなことを考え勝ちな傾向がある。読んでいてしみじみ腹の立つ所以である。

 こんなに想像力が乏しくて自己中心的で馬鹿でお金もない(と本人は思っている)男のどこがいいのか。この謎についてはマルグリット自身が説明している。とても感動的だ。

それは、あたしが血を吐くのを見て、あんたが手を取ってくれたから。あんたが泣いてくれたから。あたしのことを気の毒に思ってくれた、たったひとりの人間だったから。こんなことを言うと馬鹿みたいだけど、あたしはむかし子犬を一匹飼っていたの。あたしが咳をすると、その子犬は悲しそうにあたしのことを見ていたわ。あたしがこころから愛したのはその子犬だけよ。

うかつな男に惚れてしまった理由が「だってうちの犬みたいだったんだもん」っていうのは、なんだか正直でとてもいい。
 一見、いいところがひとつもないアルマンには、ひどく感じやすいという面がある。孤立無援で精いっぱいの虚勢をはって生きていかねばならないマルグリットに必要なのは、そういうセンチメンタリズムだったのかもしれない。
 それにしても愛する人に今の稼業をやめてもらいたいなら、かわりに自分が弁護士として仕事を開始すればいいんじゃないか程度の知恵すらまわらないというのも、いくらなんでもちょっと極端なぼんくらではある。

 パリでぶらぶらしながら浮名を流しているアルマンを心配して父は二人を別れさせようと画策する。最初こそ反目する父とマルグリットだが、結局アルマンとその家族の社会的な名誉を思って身を引くということで話し合いは決着する。

「あなたは気高い娘さんだ」と、お父さまはあたしの額に口づけしながらおっしゃいました。「あなたがなさろうとしていることは、きっと神様もご覧になってくださるだろう。しかしわたしは、はたして息子のほうがどう出るものやら、そのほうがかえって心配になってくるのだが」
「ああ、ご安心ください。あのひとはきっとあたしを憎むことになりますから」

 この世でいちばんアルマンを愛している二人の話し合いではあるのだが「あいつは馬鹿だからな」という点では意見が一致してるのはなかなか面白い。どうせ言ってもわからんだろうということで、父と愛人二人で話しあいが行われ、いい年して本人は蚊帳の外である。とことん情けない。

 かくして最愛のアルマンと別れさせられ、マルグリットは肺病で寂しく死んでいくのである。悲恋のようでもあるが、ある意味では、馬鹿なアルマンに見切りをつけ、ずっと賢くてもののわかった父と深い信頼で結ばれることで疑似親子を手にいれるという選択でもある。いつまでたっても自分のことしか考えられない幼稚なアルマンに執着し続けるより報いは多かったのかもしれない。

 これは実際おこったことを題材にしていることは作者自身が語っており、実在したモデルなども明らかにされているようだ。主人公のアルマンはデュマ・フェスその人なのであるが、自分のことをここまで堂に入ったお馬鹿さんとして描けてしまうデュマという人も、なかなかかわいいといえばかわいい。


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