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読んでない本の書評31「高丘親王航海記」

 134グラム。表紙だけでやけに画数が多すぎるわりには思いのほか軽い。

 澁澤龍彦という人が、ある時代の何かのカリスマであることは薄々知ってはいたが、どの時代をどんな風にけん引したのかについてはトンと知らなかった。ただ検索してみて、毛深そうな字面のわりに案外中性的につるんとした人なんだなあ、と感心した次第である。人間は意外性に満ちている。

「唐の咸通六年、日本の暦でいえば貞観七年乙酉の正月二十七日、高丘親王は広州から船で天竺へ向かった。ときに六十七歳。」と朗々と始まるから、まてまて、と思った。歴史の話をされるんじゃあ、私の知識では周辺を予習してからじゃないと全然頭に入りませんよ、なーんにも知らないんですから。
 そうやって「高丘親王航海記」はしばらく机の傍らに積んでおかれる。一行目が理解できない本はたいてい机の傍らにしばらく積んでおかれるものなのだ。そうやって、いつも視界の隅に入るのがだんだん気になってきたところで澁澤龍彦を検索してみたりする。舐められないようにいつも黒メガネをしているかわいい男の子みたいな顔をしている。「そういうことなら、まあいいか」と二行目以降を読み始めるのである。

 高丘親王は出てきていきなりもう老人なのだけど、全身全霊で知りたがりの人である。遠くへ遠くへ行きたがる。遠くへ行って不思議なものをみようとすることにすごく集中している。だから深く眠って夢をたくさん見る。寝ると、どうしてそれがエロティックなのか説明つかないようなムズムズする夢を見ては目を覚ます、そして目覚めてはまた遠くへ遠くへ行きたがる。困ったことに糞の話がやたらに好きだ。絵に描いたようなザ少年である。

 男装の少女に懐く坊主頭で全身うす桃色のジュゴンの、なんとかわいくエロいこと。それにいい夢を食べるといい香りの糞をするという獏の、なんとワクワクさせられること。これは絵本のような楽しい話だ、と思って読んでいると、獏の描写は急転直下、ドン引きして本を取り落とすほど露骨にエロくなるのであるのである。あ、そうなのね、ほのぼのと牧歌的な気分になってる場合ではないのね。油断するなよ、さすが黒メガネ。

 こんなに自由にたゆたうような小説なのに、巻末の解説が異常に圧が高いのがまた面白いのだ。雑に要約すると「この人こそ神だ、天才だ、なぜそれがきちんとわからないんだ愚民どもめっ」くらいの熱量の文章がついている。本編のテイストを無視してまで、こんなに感情むき出しの解説というのもちょっと珍しいのではないだろうか。なるほどこれがカリスマというものか。
 愚民側なので、天才性の計測まではできないのだけど、とても少年らしくて黒メガネ的で、珍しいほど自由な小説だった。人間がこれくらい自由になるのは、たくさん勉強するのか、それとも勉強なんてやめちまうのか、どっちなんだろうな。

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